パリ
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1999年の国勢調査によると、パリ都市圏はヨーロッパでもっとも多民族化が進んでいる地域のひとつであり、人口の19.4パーセントがフランス本国外の出身である[14]。また、パリ都市圏の人口の4.2パーセントは1990年から1999年の間にフランスにやってきた新しい移民であり、その大半は中国またはアフリカ出身である[15]。さらにパリ都市圏の人口の15パーセントはイスラム教徒である。「ジプシー」も参照

パリへの大量の移民の第一波は1820年代、ドイツの農民が、農業危機とナポレオン・ボナパルトの侵攻にともなって移住してきたことによる。その後、今日に至るまで、何度か移民の波が続いている。19世紀はイタリア人と中央ヨーロッパのユダヤ人、1917年のロシア革命後はロシア人、第1次世界大戦中は植民地の国々から、大戦間期はポーランド人、1950年代から70年代はスペイン人、イタリア人、ポルトガル人、北アメリカ人、またアフリカ・アジア地域の独立後はユダヤ人が移民してきた[16]。移民の居住区域は、それぞれ出身地ごとに異なっている。
風景 エッフェル塔からのパリの360度のパノラマ トゥール・モンパルナスからのパリのパノラマ
歴史国立中世美術館に残るクリュニー浴場のカルダリウム9世紀のシテ島の地図1223年のパリヴァンセンヌ城詳細は「パリの歴史」を参照「フランスの歴史」も参照
古代

パリ盆地を流れるセーヌ川の中洲シテ島は古くから同川の渡河点であり、紀元前3世紀ごろからパリシイ族の集落ルテティアがあった。紀元前1世紀ガリア戦争の結果ルテティアはローマ支配下に入った。ローマ時代のルテティアはシテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており、円形劇場(闘技場)や公衆浴場などが築かれた。現在でも5区に円形劇場・闘技場の遺跡(アレーヌ・ド・リュテス)や浴場跡が残っている。しかし、ローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころからルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになった。
フランク王国

5世紀末にフランク族の王クローヴィス1世はパリを征服し、508年にはパリをメロヴィング朝フランク王国の首都とした。しかしクロヴィス1世の死後王国はいくつかに分裂したため、パリは現在のフランスよりも狭い範囲の都でしかなかった。シャルルマーニュ(カール大帝)以降のカロリング朝フランク王国の中心はライン川流域にあり、パリは一地方都市でしかなかった。

885年から886年にかけてパリはヴァイキングの襲撃を受けた。このとき、フランク王シャルル3世(カール3世)は金銭を支払って講和を結んだため信望を失い、代わってパリ伯の権威が上昇することになった。このころからセーヌ右岸側にも市街地が拡大した。
カペー朝

西フランク王国が断絶すると、987年にパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に推挙されたことから、パリはフランス王国の首都となった。王権の強化にしたがって首都も発達し、王宮としてシテ宮が建築された。フィリップ2世の時代にはパリを囲む城壁(フィリップ・オーギュストの城壁)も築かれ、その西に要塞(のちにルーヴル宮殿に発展する)が設けられた。このころのパリは初期スコラ学の中心のひとつでもあり、11世紀ごろからパリ大司教座聖堂付の学校が発達し、1200年には王にも承認され、のちのパリ大学につながっていった。パリ大学は特に神学の研究で著名であった。右岸に中央市場「レ・アル(Les Halles)」が作られたもこのころである。こうして、左岸は大学の街、右岸は商人の街という現在まで続く町の原型が定まった。

12世紀にはパリ水運商人組合が結成され、のちにパリ商人頭は事実上の市長として市政を司るようになる。

13世紀になると、ルイ9世によってサント・シャペルが建築されたほか、ノートルダム大聖堂も一応の完成を見る。パリは成長を続け、セーヌ左岸も再び人口を増やしていた。王たちは次第にヴァンセンヌ城を居城とするようになったが、行政機構はシテ宮に残った。

14世紀初頭のパリの人口は約20万人と推定され、ヨーロッパ随一の都市であった。
ヴァロワ朝ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に描かれた15世紀のルーヴル宮殿1550年パリ地図

1328年カペー朝が断絶したことなどを契機とする百年戦争の最中、パリ商人頭となったエティエンヌ・マルセルは王に匹敵する権力を持ち、王と対立した。シャルル5世は、1356年から1383年にかけて新たな城壁(シャルル5世の城壁)を築いて市域を拡大させ、1370年にサン=タントワーヌ要塞(のちのバスティーユ牢獄)を築いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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