パリ高等法院
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30. フランドルエノー (州都リール、高等法院は当初は トゥルネー、後にドゥエー 1686)

31. フランシュ=コンテ(ブザンソン 1676; 以前はドール (1422))

32. ロレーヌ (ナンシー 1776)

37. サヴォイア (シャンベリ 1537-1559)

(未表示) ドンブ (トレヴー 1523-1771)

(未表示) コルス島 (最高評定院バスティア 1768)

(未表示) 三司教管区 (メス司教区 1633)

注: 地図は高等法院の管轄地域を表していない。地図の国境は現代のもので、当時のフランス領土を表していない。この表の州は幾つかの歴史的州と郡部を含んでいる。


司法的役割

高等法院は民事、刑事、行政の裁判権限を有し、終審裁判所となるが、他の行政諸院(会計法院、租税法院、貨幣法院)の管轄事件については上告が可能になっている[9]

最高責任者は国王の親任状をもって任命される法院長で、組織は大審議部[注 5]、調査部[注 6]、申請部[注 7]から成っているが、地方高等法院によって部局の数や構成は異なる。

法院の司法官になるには弁護士の資格を取得して、売官制を通じて国王から官職を購入する。官職はポーレット税を国王に支払うことによって世襲が可能であり、新興ブルジョワ階層から新たな貴族が生まれ、彼らは中世以来の帯剣貴族(英語版)[注 8]に対して法服貴族[注 9]と呼ばれた。

民事裁判では訴訟当事者たちは司法官にエピス[注 10]を支払わねばならない。このため、裕福な者や縁故がある者以外の平民にとって民事裁判は縁遠いものだった。

刑事裁判の手続きは著しく古風なものだった。司法官は自白や共犯者の名前を引き出すために容疑者の拷問を命じることができ、通常の拷問である「通常尋問」[注 11]とより残忍な「特別尋問」[注 12]が存在した。容疑者が貧しい単なる平民の場合は、無罪の推定の概念はほとんどなかった。単なる窃盗を含む様々な犯罪に対して死刑が宣告でき、これは犯罪の種類と被害者の社会階層によった。処刑は貴族には斬首刑、平民には絞首刑が行われ、平民による凶悪犯罪には車裂きの刑異端無神論の擁護には火刑が執行された。王殺しの様な犯罪には、より残忍な処刑方法が執行される。

司法官による拷問や残忍な方法の処刑は1788年ルイ16世によって廃止されている[10]
政治的役割

理論上は高等法院は立法府ではなく裁判所である。しかしながら、高等法院には全ての勅令法令を登録する責務があり、勅令は高等法院が登記して発効する(勅法登記権)。幾つかの特にパリ高等法院は次第に彼らが同意しない法令の登記を拒否するようになり、国王は親裁座[注 13]を開催するか拘禁令状[注 14]を出して強制するようになった。また、高等法院は国王に対して助言する権利と義務を有しており(建言権)、国王はその助言を重んじることになっているが必ずしも従う義務はない[11]

更に高等法院は治安維持や行政に関する指導権限を有し、管轄地域に適用される院判決[注 15]を定めることができ、行政権と立法権も兼ね備えていた[12]

絶対主義の確立を進める王権に対して、貴族の諸特権(特に免税特権)を擁護する高等法院は国王としばしば対立している。

フランス革命直前の数年間、アンシャン・レジームでのブルジョワと貴族の諸特権の保護への高等法院の非常な関心はフランスにおける様々な改革(とりわけ税制改革)を阻害し、理論上は絶対王政を支える改革であっても抵抗した。

高等法院のこの行為がフランス革命以降、フランスの裁判所がフランス民法典第5条によって法律の制定と立法機関として活動することを禁じられ、権限を法律の解釈に限られた理由の一つである。ナポレオン法典以降、フランスは判例が普通法の国でほど強力ではない近代大陸法制度の起原であった。先例遵由の法理も、単一での最高裁判所もなく、裁判所の違憲審査権もないフランス法制度の弱さの原因は「司法官による統治」との敵対に起因している[13][14][15]
脚注[脚注の使い方]
注釈
^ Conseil du RoiまたはCuria regis
^ noblesse de robe
^ coutumes
^ conseils souverain
^ la grand-chambre
^ la chambre des enquetes
^ la chambre des requetes
^ noblesse d'epee
^ noblesse de robe
^ epices:スパイスの意味で、当初、香料漬けの果物や糖果を贈る習慣であったので、転じて裁判官への贈答品をさす。後には単に金銭を払う賄賂となった
^ question ordinaire
^ question extraordinaire
^ lit de justice
^ lettre de cachet
^ arrets de reglement

出典
^ 「アンシアン・レジーム―フランス絶対主義の政治と社会」(ユベール・メティヴィエ (著)井上堯裕 (翻訳)、白水社、1965年)p65
^ 「ルイ14世 フランス絶対王政の虚実」(千葉治男、清水書院、1984年)p40-41
^ a b 「アンシアン・レジーム―フランス絶対主義の政治と社会」(ユベール・メティヴィエ (著)井上堯裕 (翻訳)、白水社、1965年)p66
^ Mack P. Holt, "The King in Parlement: The Problem of the Lit de Justice in Sixteenth-Century France" The Historical Journal 31.3 (September 1988:507-523).
^ 「ルイ14世 フランス絶対王政の虚実」(千葉治男、清水書院、1984年)p41
^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p222
^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p225
^ Dates and list based on Pillorget, vol 2, p. 894 and Jouanna p. 1183.
^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p47
^Abstract of dissertation "'Pour savoir la verite de sa bouche': The Practice and Abolition of Judicial Torture in the Parlement of Toulouse, 1600-1788" by Lisa Silverman.
^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p48
^ 「フランスの法服貴族―18世紀トゥルーズの社会史」(宮崎揚弘、同文舘出版、1994年)p47-48
^ Michael H. Davis, The Law/Politics Distinction, the French Conseil Constitutionnel, and the U. S. Supreme Court, The American Journal of Comparative Law, Vol. 34, No. 1 (Winter, 1986), ⇒pp. 45-92


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