パリ祭
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1878年6月30日、公式決定により共和国を讃える祝祭が開かれた(その様子はクロード・モネの絵に記録されている)。

1879年7月14日、改めて準公式に祝祭が開かれた。このときの祝祭で、ロンシャンでは閲兵式、下院ではレオン・ガンベタ (Leon Gambetta) 主催のレセプション (歓迎会) 、「プレ・カトラン」ではルイ・ブランヴィクトル・ユゴーとの共和国祝祭が行われた。16日のフィガロ紙にあるように、フランス中で「人々はバスティーユの栄光を心から祝した」のである。

1880年5月21日、バンジャマン・ラスパイユは「7月14日を年一度の祭日とする」法案を提出する。5月21日、次いで6月8日、下院は法案を可決する。上院は6月27日、29日に承認する。1789年8月4日アンシャン・レジーム崩壊を祝う案に対し、7月14日案が採択されたのである。

法律は1880年7月6日公布され、内務省は各知事に「地域の予算が許す限りの輝きをもって賛美する」よう勧告した。事実、1880年の新祭日の祝賀はすばらしいものになった。
アンリ・マルタンによる上院演説

1880年6月29日に上院議長アンリ・マルタンによっておこなわれた演説:

《略》

忘れてはいけない、この7月14日の裏にあるものを、アンシャン・レジームに対する新時代の勝利は戦いの末にあることを。忘れてはいけない、1789年の7月14日 (= バスティーユ襲撃) の後には、1790年の7月14日 (= 建国記念日、Fete de la Federation) があったことを。

後者の7月14日を、流血があった、国を分裂したと責めることはできない。それはフランス統一への清めであった。そうだ、古い君主制度が作ったものをささげたのである。

ある人が言ったように、古い君主制度はフランスの本質だったのであり、我々はそれを忘れることはできない。革命は、1790年の今日7月14日に、フランスの精神を作ったとは言えないだろう、神のみがフランスの精神をお持ちだから、だが革命はフランスにその自覚を与えた。革命はフランスに自身の精神を示した。そして覚えておくのだ、我々の歴史で最も美しく純粋なこの日、国の端から端、ピレネーからアルプスラインまで、すべてのフランス人は手をつないだ。覚えておくのだ、国家領土のすべての地域から、国家警備隊と軍の代表団が、89年の行為を祝賀するためパリにやってきたことを。覚えておくのだ、そのときのパリを。人々が、年齢や性別を超え、地位や富も関係なく、心から結びつき、その自身の手ですばらしい記念祭 (Fete de la Federation) の準備に携わったことを。パリはシャン・ド・マルス周辺で働き、この第二帝政によって破壊された実に神聖な円形劇場を立ち上げた。

《略》

もし、あなた方のうち幾人かが最初の7月14日にためらいがあるとしても、後の7月14日にはきっと何とも思わないだろう。私たちを分け隔てる違いがどうであれ、なにものかがそこにとどまっている、それは我々皆が渇望する統一国家の偉大なイメージであり、そのためなら我々は全員が立ち上がって、必要とあれば喜んで死に赴くのである。
制定後

1939年9月に勃発した第二次世界大戦において、フランスがドイツ軍に占領され親独政権であるヴィシー政権ができたためにイギリス亡命したシャルル・ド・ゴール自由フランス軍は、1940年から1944年までの記念式典を、亡命先のロンドンで行った。

祝祭から199年を経た1989年、政府はバスティーユ襲撃から200年を経たフランス革命200年記念を謳い、ミッテラン大統領が記念行事に世界各国首脳を招待した。

2019年に発生した新型コロナウイルス感染症の世界的な流行を受け、2020年の大規模パレードは取り止められ、会場をコンコルド広場に限定して規模を縮小した観閲行進およびセレモニーが催された。
関連項目

パリ軍事総督

フレンチ・ラン

出典^ a b c 荻昌弘『男の縁日』p.61(大和出版、1979年)
^ 寺田寅彦『映画雑感U』 青空文庫
^Merriam-Webster Dictionary - Bastille day

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、パリ祭での軍事パレードに関連するカテゴリがあります。

senat.fr Tout savoir sur le 14 juillet - La fete nationale - ウェイバックマシン(2013年11月5日アーカイブ分)(フランス上院)(フランス語) - パリ祭についての知識。

La fete nationale du 14 juillet(フランス大統領府)(フランス語)

Bastille Day:Military flying display over Paris for the traditional 14 july celebration - YouTube(euro news〈ユーロニュース〉、2016年7月14日) - フランス空軍の演技飛行。

日本大百科全書(ニッポニカ)『パリ祭』 - コトバンク

大辞林 第三版『パリ祭・巴里祭』 - コトバンク

世界の祭り・イベントガイド『フランス革命記念日』 - コトバンク

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