パリ大学
「:fr:Ancienne universite de Paris」も参照
1211年にローマ教皇インノケンティウス3世により、法的に「大学」として認められた (ストゥディウム・ゲネラーレ)。
1257年にルイ9世の宮廷司祭であったロベール・ド・ソルボン(Robert de Sorbon, 1201年-1274年)が貧しい神学部学生のためのソルボンヌ学寮 (College de Sorbonne) を設立。
1259年に教皇アレクサンデル4世の許可を得、以後ソルボンヌは後には神学部、ひいてはパリ大学そのものの代名詞となった。以来100以上の学寮が作られている。
中世では全ヨーロッパを教育対象としたカトリック大学であった。しかし、ローマ教皇に庇護された大学の特権も、1499年、ルイ12世の頃にはその乱用を忌まれて剥奪されている。
1793年、フランス革命以降、フランス全国の大学が中断に遇い、代わってエコール・ノルマル・シュペリウールなどのグランゼコールが設けられた。
1808年、ナポレオンの第一帝政時代に帝国大学 (Universite de France 又は Universite imperiale) 令により全国は16の大学区(アカデミー)に分割され、パリ大学区には5学部(神学・法学・医学・理学・文学)がおかれた[注釈 1]。
「:fr:Nouvelle universite de Paris」も参照
1896年、新制パリ大学が発足
1970年、1968年の高等教育基本法(フォール法, fr)によって現在の大学制度が成立した。学部は廃止されて、応用数学、英米文学などの専門的な研究・教育単位であるユニテ(unite、ユニット)に再編され、パリ大学も、1大学区1大学制から、20前後のユニテからなる13の独立した大学に改組された。
パリ第3大学(新ソルボンヌ、Sorbonne Nouvelle)は、この高等教育基本法に基づいて1970年に新制大学の1つとして設立された大学である。ユニテは1大学に一つのみではなく、複数の大学に重複している。
1984年、高等教育法が制定された。これは1968年法の精神を推し進めると同時に,大学の使命として,研究の振興・雇用政策(職業化),社会的・文化的不平等の緩和を強調している。また,これまで大学とは別の体系をなし、実学を学ぶ高等専門大学(グランゼコール)などをこの法律の適用対象に含めている。
2008年にパリ第9大学(ドフィーヌ)が離脱し、他大学とPSL研究大学(Universite PSL)を創設。
2018年1月1日に、パリ第4大学とパリ第6大学が統合し、ソルボンヌ大学(Sorbonne Universite)を創設。
2019年にパリ第5とパリ7大学が離脱・統合しパリ大学(Universite de Paris)を創設。
2020年1月にパリ第11大学(パリ南)が他大学とパリサクレー大学(Universite Paris Saclay)を創設。
パリ大学の構成校詳細は「:fr:Universite de Paris」を参照パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)・パリ第2大学(パンテオン・アサス)、パリ5区パンテオン広場からの眺め
構成校
パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ) - 法学・哲学・政治学・歴史学・経営学・経済学
パリ第2大学(パンテオン・アサス[注釈 2]) - 法学・政治学・経済学
パリ第3大学(ソルボンヌ・ヌーヴェル) - 文学・東洋語
パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ) - パリ第6大学と離脱統合し、2018年にソルボンヌ大学(Sorbonne Universite)を創設
パリ第5大学(パリ・デカルト) - パリ第7大学と離脱統合し、2019年にパリ大学(Universite de Paris)を創設(2019年)
パリ第6大学(ピエール・エ・マリー・キュリー大学) - 理学・医学・工学。パリ第4大学と離脱統合し、2018年にソルボンヌ大学(Sorbonne Universite)を創設
パリ第7大学(パリ・ディドロ) - 上記参照
パリ第8大学(サン=ドニ) - 哲学・芸術学・精神分析学・心理学
パリ第9大学(パリ・ドーフィン) - 離脱し、パリ・ドーフィン大学への改称を経て、PSL研究大学に統合。
パリ第10大学(ナンテール) - 法学・経営学・経済学・社会学・歴史学・地理学・文学・心理学・教育学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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