パラマウント映画
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1916年、映画プロデューサーのアドルフ・ズコールは24人の俳優と女優を契約させ、それぞれにロゴに星をつけた。1967年、星の数は22個に減らされ、隠された意味も取り払われた。2014年、パラマウント・ピクチャーズはハリウッドのメジャースタジオとして初めて、全作品をデジタルのみで配給するようになった。本社とスタジオは、カリフォルニア州ハリウッドのメルローズ通り5555番地にある。

モーション・ピクチャー・アソシエーション(MPA)のメンバーである。日本ではパラマウント映画(パラマウントえいが)の名前で知られている。
概要

1912年にアドルフ・ズコールが設立した「フェーマス・プレイヤーズ」を源流とし、その後「フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ」と呼称して、1924年に「パラマウント」に社名を変えた。ただしパラマウントはもともと1914年にW・W・ホドキンスンが設立した映画配給会社[2]の社名であり、アドルフ・ズコールのフェーマス・プレーヤーズが製作した映画の多くを配給していた会社であった。そして1916年にズコールがこの配給会社の実権を握り、同じ年に1913年に設立された「ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニー」と「フェーマス・プレーヤーズ」と合わせて3社が合併して「フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ」となり、その後社名を「パラマウント」にしたものである。

アメリカ映画界で設立当初から大手メジャー会社として君臨し、製作と配給部門を掌握したズーカーがやがて劇場の買収を進め、アメリカの映画史上初めて製作・配給・興行の垂直統合を実現して、徹底したスターシステムと豪華主義でサイレント時代から映画界をリードしていたが、大恐慌時には破産宣告を受ける。しかし1935年頃に再建して後には都会派コメディーに力を入れて復活した。1966年にはコングロマリットのガルフ&ウェスタンの傘下となり、1994年には大手ケーブル会社バイアコム(現・パラマウント・グローバル)に買収されて今日に至っている。大型画面が盛んとなった1950年代に独自にワイドスクリーンのビスタビジョン(ビスタサイズ)を開発したことでも知られる[3]
歴史

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1912年 - アドルフ・ズコールが「フェイマス・プレイヤーズ」を設立する。

1916年 - 映画製作会社「ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニー」(1913年に設立)と合併し、「フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ」となる。

1927年 - 社名を「パラマウント」に改称する。

1933年 - 財政難で破産宣告。

1935年 - 会社再建。

1948年 - 最高裁から独占禁止法に触れるとする判決を受ける。

1949年 - 前年の最高裁判決を受けて興行部門を分離する。

1957年 - 1948年以前の大部分のトーキー作品の版権(『我輩はカモである』、『誰が為に鐘は鳴る』、『失われた週末』等)をEMKA(MCAレコードの子会社)に売却。これらの版権は現在、ユニバーサル映画が保有する。

1966年 - コングロマリットのガルフ&ウェスタン社に買収される。

1994年 - バイアコム(現・パラマウント・グローバル)に買収される。

2005年 - バイアコムは会社分割により、パラマウントやMTVなどを新しいバイアコムとして分離。この際、テレビ番組製作会社のCBSパラマウントテレビジョン(旧パラマウント・テレビジョン)はCBSコーポレーション傘下に残る。

創業者アドルフ・ズコールの逸話

東欧系ユダヤ人としてハンガリーで生まれたアドルフ・ズコールは移民労働者からハリウッドのタイクーンになった人物である[4]

彼は若くして新大陸に渡り、モップ拭きからスタートして毛皮商として成功し、そして後に劇場王となる同業者の親友、マーカス・ロウ[注 1]に触発され、ボードビル会社を設立[注 2]。次いでニッケルオデオン興行から映画配給、映画製作へと進出した。

1912年、製作プロダクションの乱立で作品の質の低下に行き詰まりを感じたズコールは、1906年頃にフランスに起こった、文学や戯曲の名作を当時の人気舞台俳優たちに演じさせて映画を作る芸術映画運動(フィルム・ダール)[注 3]に注目して、フランスに行き、当時舞台での大女優サラ・ベルナールを口説き落として全財産を注ぎ込んで製作したのがサイレント映画の大作「エリザベス女王」で、これをアメリカに逆輸入して大ヒットさせた。ズコールはこれに力を得て同年映画スタジオを設立、「・・有名な戯曲を有名な俳優によって映画に・・」(あるいは「・・名優を名作で・・」[6])をキャッチフレーズにフェーマス・プレーヤーズと名付けた[7]

この時ボードビリアンのジェシー・ラスキー、手袋商のサミュエル・ゴールドフィッシュ[注 4](後にゴールドウィンと改名)、当時脚本家で後に大プロデューサーとなるセシル・B・デミルらと組んで、翌1913年にハリウッド初の長編映画「スクォー・マン」を製作する[8]

さらには、D・W・グリフィスが『國民の創生』(1915年)、『イントレランス』(1916年)を次々発表。ズーカーの経営手腕は凄まじいもので、人気スターの出演作を次々購入・製作し、市場を奪われた興業者たちの間では「ズコールを止めろ!」が合言葉になる程であった。20年半ばでの収益はフォックスの2倍、ユニバーサルの3倍、ワーナーの5倍に及んだ[4]。やがて、ズコールとラスキーはそれぞれの会社と新興の配給会社パラマウントを併合して、フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオとなり、それが今日のパラマウント・ピクチャーズとなった。
オープニングロゴパラマウントスタジオが75周年を迎えた際、画家のDario Campanile(写真右)によって、ロゴが手直しされた。この原画はパラマウントスタジオに展示されている。

ピラミッド型の特徴的なパラマウント山は、創業以来、同社のプロダクションロゴの主役であり、現存するハリウッド映画のロゴとしては最も古いものである。サウンド時代には、このロゴに、1930年に公開された同名の映画にちなんで「パラマウント・オン・パレード」というファンファーレを付けていた。このファンファーレの歌詞は、もともと1930年の映画で歌われたもので、"Proud of the crowd that will never be loud, it's Paramount on Parade. "というものである。

伝説によると、この山はウィリアム・ホドキンソン(en:William Wadsworth Hodkinson)がアドルフ・ズコールと打ち合わせをした際に作った落書きが元になっているという。これは、彼が幼少期に過ごしたユタ州での思い出が元になっていると言われている。ユタ州のベン・ローモンドがホッドキンソンの落書きした山で、ペルーのアルテソンラジュが実写のロゴの山だとする説や、イタリア側のモンヴィーゾがこのロゴのモチーフになったとする説もある。ロゴの版によっては、ワサッチ山脈のもう一つの山であるファイファーホルンや、スイスとイタリアの国境にあるマッターホルンに酷似しているものもある。また、アラスカのハンティントン山にも酷似している。

映画ロゴは、長年にわたって多くの変化を遂げてきた。

このロゴは、木炭で描かれた山に星を重ねた、やや不鮮明なものから始まった。これは、パラマウントが当時24人のスターと契約していたことから、当時の俳優の契約制度にちなんだものであった。

1951年、このロゴはヤン・ドメラの手によるマットペインティングとしてリデザインされた。

1953年には、3Dで製作されたパラマウント映画のために、より新しく、よりリアルなロゴがデビューした。1954年初めから半ばにかけて、ワイドスクリーン・プロセスのビスタビジョンで製作されたパラマウント作品用に作り直されたものである。「VistaVision - Motion Picture High Fidelity」というテキストは、タイトルシーケンスに消える前に、パラマウントのロゴの上に短く表示されることが多かった。1968年初頭、「A Paramount Picture/Release」のテキストが「Paramount」に短縮され、下部に「A Gulf+Western Company」のバイラインが入り、星の数が22に減らされた。1974年には、Paramountの文字とGulf+Westernの文字が異なるフォントで表示されるようになり、さらにデザインが変更された。

1975年9月には、その後何十年にもわたって使用された1968年のロゴのデザインを踏襲し、ブルーの濃淡でシンプルなロゴに変更した。パラマウント・テレビジョンでは、1968年からこのロゴを使用していた。

1986年12月には、湖と星をCGで表現した全く新しいロゴを発表した。このバージョンのパラマウントのロゴは、ダリオ・カンパニレがデザインし、フリップ・ユア・リッド・アニメーション、オムニバス/アベルがCGIの星を、アポジーが山をアニメーション化した。このロゴでは、星は以前のように山の上に重なるのではなく、画面上を横切るようにしてアーチ型に移動するようになっていた。このロゴのリニューアル版は、1999年6月30日に「サウスパーク/無修正映画版」で公開された。


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