本作は2004年に発表されたブライアン・バーロウのドキュメンタリー小説 ”America's Greatest Crime Wave and the Birth of the FBI, 1933?34.”(アメリカ最大の犯罪の波とFBIの誕生 1933-34年)を基にしている。
ジョン・デリンジャーを描いた映画といえばマイケル・チミノ監督の「デリンジャー」(1973)が有名だが、バーロウにとってこの作品は俳優がミスマッチで、内容にも根拠がないと感じていた。そのため、リアリティを重視することで知られるマイケル・マンが自分の小説の映画化権を買ったと知らされたときは、とても喜び安堵したと伝えている[2]。 ジョン・デリンジャーとメルヴィン・パーヴィスFBI捜査官に関する情報は、新聞記事やニュース映像、関係者の証言などが豊富に揃っていた。 マイケル・マンはデリンジャーをとても魅力的な人物だったのだろうと考察する。『2,3分も一緒にいれば古くからの友人のように思えてくる』という逸話があるほどで、よくしゃべり(アメリカではよくしゃべる男性は好感が持たれる)ユーモアを持ち合わせる男だったと伝えられている[3]。 ジョニー・デップの祖父は、禁酒法時代に密造酒を製造販売した罪でデリンジャーと同じ頃に刑務所に入っていたことがあり、もしかしたらデリンジャーの肉声を聞いていたかもしれないと思うと非常に親近感を覚えたという[4]。マンとデップは、デリンジャーが生まれ育ったインディアナ州のディリンジャー農場
配役
スカルフ氏は2人が叔父のことをよく研究し敬意を払ってくれていることに感謝し、祖母がよく話していたという『デリンジャーを悪人にして欲しくない。でも美化してはいけない』という言葉を伝えた[6]。
パーヴィス捜査官役のクリスチャン・ベールは、パーヴィスがどんな人物だったのかを知るため、自叙伝や息子のアルストンが書いた本を読み、パービスの親戚を訪ねたりもした[7]。パービスは身長163センチと小柄だが、身なりが良く乗馬と射撃を得意とし、プライベートではバレエやオペラを好んだ。当時のFBI局員にしては珍しく新聞記者に対して紳士的な対応をとることからマスコミの評判も良かった。一般にはデリンジャーを執念深く追っていたと思われているが、本当はなぜ大衆から英雄視されるのか理解できるような人物だったのではないかと、ベールは考えたという。
撮影中、ジョニー・デップとクリスチャン・ベールは敵対する役になりきるため、プライベートな会話を一度もしなかった。
一方、ウィスコンシン州メノミニー郡のメネノミーインディアン居留地ではマリオン・コティヤールが目撃され話題になった。彼女はビリー・フレシェットの出生地を訪ねていた。役を演じるにはその人物の子供時代を知る必要があるという想いがあったからで、フレシェットの親戚を訪ねてどんな環境で生まれ育ったのかを探り、地元の女性たちと会話をしてその土地の方言を学んだ[8]。また、マイケル・マンと一緒に数人の囚人の妻と会い夫が刑務所にいるときの心情をヒアリングしたり、現役のストリッパーと行動を共にするなど、役作りのため様々な体験をさせられた[9]