パブリック・エネミーズ
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J・エドガー・フーヴァー長官 - ビリー・クラダップ森川智之

チャールズ・ウィンステッド捜査官 - スティーヴン・ラング有本欽隆

サミュエル・カウリー捜査官 - リチャード・ショート(英語版)

ジョン・マダラ捜査官 - ショーン・ハトシー

クラレンス・ハート捜査官 - ドン・フライ

ハロルド・ライネッケ捜査官 - アダム・ムッチ

その他

アンナ・セージ - ブランカ・カティク
(英語版)(林りんこ

ポリー・ハミルトン - リーリー・ソビエスキータルタエリ

バーバラ・パツク - エミリー・デ・レイヴィン

リリアン・ホリー保安官 - リリ・テイラー

ケネス・D・マッケラー上院議員 - エド・ブルース(小島敏彦

キャロル - キャリー・マリガン

ロバート・エスティル検事 - アラン・ワイルダー

ルイス・ピケット弁護士 - ピーター・ゲレッティ

マーティン・ザーコビッチ刑事 - ジョン・マイケル・ボルジャー

スタッフ

監督:
マイケル・マン

製作:マイケル・マン、ケヴィン・ミッシャー

製作総指揮:G・マック・ブラウン、ロバート・デ・ニーロ、ジェーン・ローゼンタール

原作:ブライアン・バーロウ

脚本:ロナン・ベネット、アン・ビダーマン、マイケル・マン

撮影:ダンテ・スピノッティ

プロダクションデザイン:ネイサン・クロウリー

衣装デザイン:コリーン・アトウッド

編集:ポール・ルベル、ジェフリー・フォード

音楽:エリオット・ゴールデンサール

製作概要

本作は2004年に発表されたブライアン・バーロウのドキュメンタリー小説 ”America's Greatest Crime Wave and the Birth of the FBI, 1933?34.”(アメリカ最大の犯罪の波とFBIの誕生 1933-34年)を基にしている。

ジョン・デリンジャーを描いた映画といえばマイケル・チミノ監督の「デリンジャー」(1973)が有名だが、バーロウにとってこの作品は俳優がミスマッチで、内容にも根拠がないと感じていた。そのため、リアリティを重視することで知られるマイケル・マンが自分の小説の映画化権を買ったと知らされたときは、とても喜び安堵したと伝えている[2]
配役

ジョン・デリンジャーメルヴィン・パーヴィスFBI捜査官に関する情報は、新聞記事やニュース映像、関係者の証言などが豊富に揃っていた。

マイケル・マンはデリンジャーをとても魅力的な人物だったのだろうと考察する。『2,3分も一緒にいれば古くからの友人のように思えてくる』という逸話があるほどで、よくしゃべり(アメリカではよくしゃべる男性は好感が持たれる)ユーモアを持ち合わせる男だったと伝えられている[3]

ジョニー・デップの祖父は、禁酒法時代に密造酒を製造販売した罪でデリンジャーと同じ頃に刑務所に入っていたことがあり、もしかしたらデリンジャーの肉声を聞いていたかもしれないと思うと非常に親近感を覚えたという[4]。マンとデップは、デリンジャーが生まれ育ったインディアナ州のディリンジャー農場を訪ねた[5]。甥に当たるジェフ・スカルフ氏はデリンジャーの寝室を案内し、遺品や当時の手紙、写真などを見せてくれた。洗濯板を剃刀の刃で削って履墨を塗って作った木製の拳銃や、一般には公開されていない資料もあった。

スカルフ氏は2人が叔父のことをよく研究し敬意を払ってくれていることに感謝し、祖母がよく話していたという『デリンジャーを悪人にして欲しくない。でも美化してはいけない』という言葉を伝えた[6]


パーヴィス捜査官役のクリスチャン・ベールは、パーヴィスがどんな人物だったのかを知るため、自叙伝や息子のアルストンが書いた本を読み、パービスの親戚を訪ねたりもした[7]。パービスは身長163センチと小柄だが、身なりが良く乗馬と射撃を得意とし、プライベートではバレエやオペラを好んだ。当時のFBI局員にしては珍しく新聞記者に対して紳士的な対応をとることからマスコミの評判も良かった。一般にはデリンジャーを執念深く追っていたと思われているが、本当はなぜ大衆から英雄視されるのか理解できるような人物だったのではないかと、ベールは考えたという。

撮影中、ジョニー・デップとクリスチャン・ベールは敵対する役になりきるため、プライベートな会話を一度もしなかった。


一方、ウィスコンシン州メノミニー郡のメネノミーインディアン居留地ではマリオン・コティヤールが目撃され話題になった。彼女はビリー・フレシェットの出生地を訪ねていた。役を演じるにはその人物の子供時代を知る必要があるという想いがあったからで、フレシェットの親戚を訪ねてどんな環境で生まれ育ったのかを探り、地元の女性たちと会話をしてその土地の方言を学んだ[8]。また、マイケル・マンと一緒に数人の囚人の妻と会い夫が刑務所にいるときの心情をヒアリングしたり、現役のストリッパーと行動を共にするなど、役作りのため様々な体験をさせられた[9]

マイケル・マンは演技ではない本物の動きを再現しようと、銀行の出納係をはじめ新聞記者や看護師などを地元の一般人から募集した[10]
撮影場所

撮影はウィスコンシン州、イリノイ州シカゴ、インディアナ州などで行われた。

これらの州には保存状態の良い歴史的な建築物や街並みが残っており、これまでにも多くの映画の撮影地として利用されてきた。が、今回のような大規模な撮影は初めてで、各地で展示会や観光ツアー、仮装大会、クラシックカーのパレードなど様々なイベントが催された[11]

1933年9月26日 インディアナ州刑務所の脱獄(00:02)

冒頭のインディアナ州刑務所の脱獄シーンは、イリノイ州クレストヒルにあるステーツヴィル刑務所の南門を使用した[12]

内部は旧ジョリエット刑務所で、ステーツヴィル刑務所とは5キロほどの距離である。「ブルースブラザース」や「プリズンブレイク」などで有名。
映画ではデリンジャーとレッド・ハミルトンが仲間を助ける筋立てになっているが、このときデリンジャーはオハイオ州の拘置所に入っており[13]、ハミルトンは脱走する囚人だった。

1933年10月23日 インディアナ州グリーンキャッスルのセントラルナショナル銀行襲撃(00:13)

映画で最初の銀行襲撃シーンの建物内部は、シカゴの旧シェリダン信託貯蓄銀行ビルで撮影した。(ノースブロードウェイSt.4753)
1924年に建てられた歴史的建築物で、2008年に「シカゴ・ランドマーク」に指定された。現在はテラーハウスというオフィスビルになっている。

建物の外部と周辺道路はオシュコシュ・メソニックセンター(204ワシントンAve.204)のフロント。1849年に建てられたフリーメイソンのビルである[14]

FBI本部(00:17)  

ウィスコンシン州会議事堂 (ダーリントン、メインSt.626)

デリンジャーとフレシェットが出会うナイトクラブ(00:21) 

シカゴのアラゴン・ボールルーム (ウェストローレンスAve.1106)
1926年にオープンしたダンスホール。

フレシェットが働くスチューベンクラブ (00:32)  

シカゴのオーディトリアムシアターのロビーを使用。(サウスミシガンAve.4360)

ベビーフェイス・ネルソンのアパート(00:38)

シカゴのリサイド・オン・サーフアパート[15](ウェストサーフSt.425) 

1933年12月 フロリダ州のハイアレアパーク競馬場(00:45)

ロサンゼルス北西部のサンタアニタ競馬場で撮影。フロリダ州には山がないのでVFXで背後の山を消してある。

1934年1月15日 イーストシカゴのファーストナショナル銀行襲撃(00:43)

映画の2回目の銀行襲撃は、ミルウォーキーの旧セカンドワード貯蓄銀行ビルで撮影された[16]


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