パニック!アット・ザ・ディスコ
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5月17日、公式サイト上でウィルソンの脱退が発表される[40]。この翌月、ウィルソンの脱退は「責任感のなさ」や「バンド内での音楽的な進歩のなさ」を理由とした「解雇」であることが明かされ、同時にスミスはウィルソンがアルバムのレコーディングには不参加で、アルバム収録曲のベースのパートをユーリーとロスの2人が作り、ユーリーがベースを演奏したことを明かした[41]

その後、ウィルソンの後任としてジョン・ウォーカーが加入[26][42]。6月6日から8月4日にかけて自身初となる北米ヘッドライニング・ツアーを開催[43]。8月、「アイ・ライト・シンズ・ノット・トラジェディーズ?いつわりのウェディング」がアメリカレコード協会からゴールド認定を受け[44]、同曲のミュージック・ビデオがMTV Video Music Awardsで最優秀ビデオ賞を受賞[45]。10月24日に発売された『「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」オリジナル・サウンドトラック』に参加し、「ハロウィーン・タウンへようこそ」をカバー[46]

2007年8月、フォール・アウト・ボーイやジ・アカデミー・イズらとともに「Decaydance Fest」を世界各国で開催し、同年の「SUMMER SONIC 07」にも出演した[47]。9月より2作目のスタジオ・アルバムの制作が開始され、ラスベガスにあるスタジオ・アット・ザ・パームスでレコーディングを開始[48]。12月11日、Billboard.comがパニック!アット・ザ・ディスコの2作目のアルバムについて報じ、ビートルズローリング・ストーンズボブ・ディランといったバンドやアーティストからの影響を受けていて、従来の作品では未使用だったハーモニカスライドギターなどが取り入れられた作品であると説明した[49]『ホンダ・シヴィック・ツアー』のヒューストン公演(2008年4月20日)でのロス(写真左)とユーリー(写真右)

2008年1月10日、同年の『ホンダ・シヴィック・ツアー』でヘッドライナーを務めることを発表し[50]、同時にバンド名を感嘆符を含めない「パニック・アット・ザ・ディスコ」(Panic At The Disco)に変更することを発表[51]。同月29日、後に発売されるアルバムからの第1弾シングルとして「ナイン・イン・ジ・アフターヌーン?恋するタイミング」を発売[52][53]。3月21日、2作目のスタジオ・アルバム『プリティ。オッド。』を発売[54]。アルバムは発売初週で139,000枚を売り上げ、Billboard 200で初登場2位を記録した[55]

4月10日から6月14日にかけてホンダ・シヴィック・ツアーが開催され、同ツアーにはモーション・シティ・サウンドトラック、ザ・ハッシュ・サウンド、ファントム・プラネットも参加した[56]。10月5日から11月14日にかけてダッシュボード・コンフェッショナルザ・キャブらとともにテレビゲーム『Rock Band 2』のプロモーションを目的としたライブツアーを開催[57]。この年のライブツアーでは森を連想させるステージセット、動植物を投影するスクリーン、花と照明で飾ったマイクスタンドが使用されるなど[58]、「暗いサーカス」をテーマとした従来のステージセットとはまったく異なる様式が採用された[59]

12月2日、『ホンダ・シヴィック・ツアー』から4月のシカゴ公演でのライブ音源を収録したライブ・アルバム『ライヴ・イン・シカゴ』を発売[60][61]
ロスとウォーカーの脱退 ? 新体制での活動


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