パニック!アット・ザ・ディスコ
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9月27日、スタジオ・アルバム『フィーバーは止まらない』とシングル『殉死と自殺の差は記事になるかならないか』の同時発売でデビュー[33][34]。同作はBillboard 200で初登場112位に記録し、翌年の同チャートで最高位13位を記録した[35]。アルバム発売の4か月後に第2弾シングルとしてリカットされた「アイ・ライト・シンズ・ノット・トラジェディーズ?いつわりのウェディング」は50万枚を超える売上を記録し[30]Billboard Hot 100で最高位7位を記録した[36]

2006年1月から5月にかけてジ・アカデミー・イズとの共同ライブツアー「The Ambitious Ones and Smoking Guns Tour」を開催[37]。4月1日に幕張メッセ公演で開催された「PUNKSPRING」の東京公演では、OCEAN STAGEのトリを務めた[38][39]。5月17日、公式サイト上でウィルソンの脱退が発表される[40]。この翌月、ウィルソンの脱退は「責任感のなさ」や「バンド内での音楽的な進歩のなさ」を理由とした「解雇」であることが明かされ、同時にスミスはウィルソンがアルバムのレコーディングには不参加で、アルバム収録曲のベースのパートをユーリーとロスの2人が作り、ユーリーがベースを演奏したことを明かした[41]

その後、ウィルソンの後任としてジョン・ウォーカーが加入[26][42]。6月6日から8月4日にかけて自身初となる北米ヘッドライニング・ツアーを開催[43]。8月、「アイ・ライト・シンズ・ノット・トラジェディーズ?いつわりのウェディング」がアメリカレコード協会からゴールド認定を受け[44]、同曲のミュージック・ビデオがMTV Video Music Awardsで最優秀ビデオ賞を受賞[45]。10月24日に発売された『「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」オリジナル・サウンドトラック』に参加し、「ハロウィーン・タウンへようこそ」をカバー[46]

2007年8月、フォール・アウト・ボーイやジ・アカデミー・イズらとともに「Decaydance Fest」を世界各国で開催し、同年の「SUMMER SONIC 07」にも出演した[47]。9月より2作目のスタジオ・アルバムの制作が開始され、ラスベガスにあるスタジオ・アット・ザ・パームスでレコーディングを開始[48]。12月11日、Billboard.comがパニック!アット・ザ・ディスコの2作目のアルバムについて報じ、ビートルズローリング・ストーンズボブ・ディランといったバンドやアーティストからの影響を受けていて、従来の作品では未使用だったハーモニカスライドギターなどが取り入れられた作品であると説明した[49]『ホンダ・シヴィック・ツアー』のヒューストン公演(2008年4月20日)でのロス(写真左)とユーリー(写真右)

2008年1月10日、同年の『ホンダ・シヴィック・ツアー』でヘッドライナーを務めることを発表し[50]、同時にバンド名を感嘆符を含めない「パニック・アット・ザ・ディスコ」(Panic At The Disco)に変更することを発表[51]。同月29日、後に発売されるアルバムからの第1弾シングルとして「ナイン・イン・ジ・アフターヌーン?恋するタイミング」を発売[52][53]。3月21日、2作目のスタジオ・アルバム『プリティ。オッド。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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