翌1975年9月18日、サンフランシスコにてFBIがパトリシアを逮捕し、1年以上に及ぶ逃亡生活は終焉を迎えた。パトリシアは逮捕時に拳銃を突きつけられた恐怖から失禁してしまい、そのまま連れ去ろうとする警官にズボンの穿き替えを懇願し、男性警官の目の前で着替えを許された[3]。 1976年2月に裁判が始まると、パトリシアは態度を豹変させて無罪を主張した。弁護士は逮捕時に失禁したことを挙げ、「最初から本気ではなく、殺されないために加入したふりをしたに過ぎなかった」と主張した。弁護団は彼女は洗脳されたのであって責任はSLAにあるとしたが、陪審員は洗脳説を認めず、事件の社会的影響を重んじて有罪とし、懲役35年の判決が下された。 しかし、複数の著名人[4]が釈放の嘆願書を提出した結果、1976年9月24日、サンフランシスコ連邦地方裁判所は懲役7年の刑を言い渡した[5]。その後、ジミー・カーター大統領による特別恩赦と保釈金150万ドルを支払うことで、わずか1年半の1977年1月19日に仮釈放された。 出所後は積極的に社交の場に登場し、事件に関するインタビューも進んで受けた。25歳の時に、当時彼女のボディガードをしていたサンフランシスコ市警の警官と結婚した。夫は現在、ハースト財団の警備を担当。2人の子供をもうけ、長女のジリアンは一族が経営するハースト社に勤め、次女のリディアはモデルとして活躍している。 1990年以降はジョン・ウォーターズ監督の映画に出演し、脇役を務めている。
裁判
出所後
映画
クライ・ベイビー
シリアル・ママ
I love ペッカー
セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ
ア・ダーティ・シェイム
文化への影響
S.W.A.T. (テレビドラマ) - シーズン2の第7話でハースト事件を模倣する事件が起きた。
脚注^ Lucas, Dean (2007年). “ ⇒Patty Hearst”. Famous Pictures Magazine. 2007年7月15日閲覧。
^ この名前はチェ・ゲバラの同志だった女性の名前からとったとされる。
^ この事件の顛末は後年製作された伝記映画の中で詳しく描写されたが、失禁シーン自体は本人の強い要望により台詞のみの演出となっている
^ のちに大統領となるカリフォルニア州知事ロナルド・レーガンや西部劇俳優ジョン・ウェインたちである。
^ 「パトリシアに七年 連邦地裁が懲役判決」『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月25日夕刊、3版、11面
関連項目
ストックホルム症候群
ウィリアム・ランドルフ・ハースト
ハースト・コーポレーション
服部半蔵 影の軍団 - 妹のビクトリアが同シリーズのファンだったことがきっかけで、『影の軍団IV』第22話・『影の軍団 幕末編』第1話に出演した。
外部リンク
⇒CNN Patty Hearst Interview Transcript
⇒Who2? Bio
⇒The story of Patty Hearst on Crime Library
Patricia Hearst
⇒Guerrilla: The Taking of Patty Hearst official web site -パトリシアを追ったドキュメンタリー映画。松嶋×町山 未公開映画を観るTVで放映された。
⇒Super70s.com page on the Hearst Kidnapping
⇒「パティ・ハースト誘拐事件」マジソンズ 悲惨な世界
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⇒FAST
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