パトリシア・ニール
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ニールは妊娠したものの、クーパーの妻はカトリック教徒であるため離婚に応じず、子供を中絶せざるをえなかった[3]。結婚後にスキャンダルらしいものがなかったクーパーには家庭的な良い夫のイメージができあがっていたため「クーパーを誘惑した年下の女(当時クーパーが46歳、ニールは21歳)」として、ニールはマスコミから袋だたきにあった。2人は結果的に別れ、ニール自身も落ち込み、仕事も干されたという。そんなときに、彼女を駆け出し時代から可愛がってきた劇作家リリアン・ヘルマンの紹介により、作家のロアルド・ダールと出会い、1953年にニューヨークで結婚、その後5人の子をもうけた。

1957年に『群衆の中の一つの顔』でハリウッドに復帰する。ポール・ニューマンと共演した1962年の『ハッド』でアカデミー主演女優賞を受賞した。その際の記者会見では、昔クーパーからプレゼントされたという毛皮のコートを着て現れた。クーパーが亡くなったときにコメントを求められ、「彼は私の愛です。」(He is my love.)と語っており、クーパーとの恋愛を大切にしていることが窺える。

1960年12月、生後4か月の長男テオが交通事故で脳に障害を負う。1962年11月には長女オリヴィア(当時7歳)を麻疹脳炎で亡くす。

1965年、5番目の子ルーシーを妊娠中に脳卒中に見舞われ、一時は歩くことも喋ることもできなくなってしまう。彼女の固い意志と懸命なリハビリのおかげで、無事に出産し回復する。『卒業』(1967年)のミセス・ロビンソン役の申し出があったが、回復間もないこともあって断った。しかし1968年の"The Subject Was Roses"(日本未公開)で再びアカデミー賞にノミネートされた。彼女のリハビリを支えた夫のダールとは、彼の度重なる浮気を理由に、30年の結婚生活を経て1983年に離婚している[4]。2010年、肺癌が原因で死去[5]

日本では1990年に、彼女の自伝『真実 パトリシア・ニール自伝』が新潮社から刊行されている(現在は絶版)。この自伝の結びには「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と記されている。

次女で作家のテッサ・ダールの娘で、孫娘にあたるソフィー・ダール(父親は俳優スタンリー・ホロウェイの息子ジュリアン・ホロウェイ)はモデルとなった。
主な出演作品

公開年邦題
原題役名備考
1948恋の乱戦
John Loves Maryメアリー
1949
摩天楼
The Fountainheadドミニク・フランコン
命ある限り
The Hasty Heartシスター・パーカー
1950燃えつきた欲望
Bright Leafマーガレット・ジェーン・シングルトン
破局
The Breaking Pointレオナ・チャールズ
三人の秘密
Three Secretsフィリス・ホーン
1951太平洋機動作戦
Operation Pacificメアリー・スチュアート
草原のウィンチェスター
Raton Passアン
地球の静止する日
The Day the Earth Stood Stillヘレン・ベンソン
1952国務省の密使
Diplomatic Courierジョアン・ロス
1957群衆の中の一つの顔
A Face in the Crowdマーシア・ジェフリーズ
1961ティファニーで朝食を
Breakfast at Tiffany's2E
1962ハッド
Hudアルマ・ブラウンアカデミー主演女優賞 受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
1965危険な道
In Harm's Wayマギー・ヘインズ大尉英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
1971父の帰る日
The Homecoming: A Christmas Story オリヴィアテレビ映画
1973バクスター!
Baxter! ロベルタ
1975エリックの青春
Ericロイステレビ映画
1978栄光のホームベース
A Love Affair: The Eleanor and Lou Gehrig Story テレビ映画
1979ザ・パッセージ/ピレネー突破口
The Passageバーグソン夫人
西部戦線異状なし
All Quiet on the Western Front ポールの母親テレビ映画
1981ゴースト・ストーリー
Ghost Story ステラ
1984さよならバディ/愛と感動の盲導犬物語
Love Leads the Way: A True Storyフランク夫人テレビ映画
1990キャロラインはだれ?
Caroline?トロロープ夫人テレビ映画
1993アルプスの少女ハイジ
Heidi 祖母テレビ映画
1999クッキー・フォーチュン
Cookie's Fortuneジュエル・メイ・オルカット(クッキー)

参照文献^ John Shearer, ⇒Famous alumni from Knoxville High School, Knoxville News Sentinel, May 28, 2010
^ Aston-Wash, Barbara (2010年8月8日). “ ⇒Knoxville friends mourn loss of iconic actress Patricia Neal”. Knoxnews.com. 2010年8月8日閲覧。
^Patricia Neal: An Unquiet Life
^ “Celebrity Corner”. Knight-Ridder (1983年10月24日). 2009年4月12日閲覧。
^“Actress Patricia Neal dies at age 84”. NPR. (2010年8月9日). ⇒http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=129076098 2010年8月9日閲覧。 

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、パトリシア・ニールに関連するカテゴリがあります。

パトリシア・ニール - allcinema

パトリシア・ニール - IMDb(英語)

パトリシア・ニール - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語)










アカデミー主演女優賞
1928?1940

ジャネット・ゲイナー(1928)

メアリー・ピックフォード(1929)

ノーマ・シアラー(1930)

マリー・ドレスラー(1931)

ヘレン・ヘイズ(1932)

キャサリン・ヘプバーン(1933)

クローデット・コルベール(1934)

ベティ・デイヴィス(1935)

ルイーゼ・ライナー(1936)

ルイーゼ・ライナー(1937)

ベティ・デイヴィス(1938)

ヴィヴィアン・リー(1939)

ジンジャー・ロジャース(1940)

1941?1960

ジョーン・フォンテイン(1941)

グリア・ガースン(1942)

ジェニファー・ジョーンズ(1943)

イングリッド・バーグマン(1944)

ジョーン・クロフォード(1945)

オリヴィア・デ・ハヴィランド(1946)

ロレッタ・ヤング(1947)

ジェーン・ワイマン(1948)


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