その後もイギリスではジョイント・プロモーションズを活動拠点に、トニー・セント・クレアー、ワイルド・アンガス、ビッグ・ジョン・クインらと対戦。1981年はオットー・ワンツが主宰していたドイツ・オーストリアのCWAにも参戦し、ヨーロッパに遠征してきた若手時代のブレット・ハートにも胸を貸した[1]。同時期、新日本プロレスが提唱していたIWGPにも、ローラン・ボックらと共にヨーロッパ代表として参加が噂された。1982年9月にはノッティンガムにおいて、海外武者修業に出ていたクイック・キック・リーこと前田日明と対戦している[10]。
1986年には前王者セント・クレアーの離脱で空位となっていたブリティッシュ・ヘビー級王座を[11]、キャリア末期の1990年と1991年にはヨーロピアン・ヘビー級王座をそれぞれ獲得している[12]。1992年4月にはウェスト・サセックスのバージェス・ヒルで行われたトーナメントに出場、決勝で同じく柔道出身のピート・ロバーツを破り、優勝を果たした[13]。以降、セミリタイア後も1990年代後半まで、イギリスやドイツでの試合に時折出場していた[14]。 大柄で屈強な体格と風貌を活かし、現役レスラー時代から数々の映画やテレビドラマに悪役で出演。1980年代の『インディ・ジョーンズ』シリーズには、それぞれ違う役で全作品に出演した。特に、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』での大男のネパール人(ジャイアント・シェルパ)と、インディとの格闘の末に飛行機のプロペラに巻き込まれて絶命する屈強なドイツ兵(ファースト・メカニック)の二役が知られる。『スター・ウォーズ』のダース・ベイダー役のオーディションを受けたこともある[15]。
俳優としての活動