パウロ
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ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった[注 2]。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった[29][注 3]。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。一般的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれることが多い。

一方でパウロ自身はこのエピソードを自ら紹介しておらず、単に「召されて使徒となった」などと記している。
回心後の伝道活動

その後、かつてさんざん迫害していた使徒たちに受け入れられるまでに、ユダヤ教徒たちから何度も激しく拒絶され命を狙われたが、やがてアンティオキアを拠点として小アジア、マケドニアなどローマ帝国領内へ赴き、会堂(シナゴーグ)を拠点にしながらバルナバテモテマルコといった弟子や協力者と共に布教活動を行った。布教活動の時のパウロの職業はテント職人であった[30]。復活の奇跡を行った事もある[31]。特に異邦人に伝道したことが重要である。

『使徒行伝』によれば3回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛されたが、ローマ市民であるパウロに刑罰を科すには正式の裁判手続きが必要であり、そのためローマに送られ軟禁された。伝承によれば皇帝ネロの治世、60年代後半にローマで斬首刑に処され殉教したと言われる。またローマからスペインにまで伝道旅行をしたとの伝承もある。
キリスト信仰

年代順にみると、新約中で最も古い書簡とされるテサロニケ人への第一の手紙と生前のナザレのイエスとの間には、初期のエルサレム教会より伝わる伝承が存在したとされる[32]。その伝承の中には、信仰告白定型と呼ばれるものがあり、書簡の中でパウロが、ナザレのイエスは生き返ったと表明している箇所については、この伝承に基づいているとされている。[33]。パウロにとっては、すでに死去したナザレのイエスが直接自身に内的な啓示によって通信してきた体験[34]がイエスはキリストであるという信仰に至るきっかけとなった。[35]盲目からの奇跡的回復という話は自身が記していないことから、キリストはイエスであったと考えるようになったのは、イエスを名乗る存在の内的な啓示と、第三の天にまであげられたというある人の天界の体験[36]とが原因として読み取れる。ガラテヤ人への手紙1:16によれば、啓示に神の御子が現れるのをよしとしたのは神であり、その啓示の仕方は、パウロ自身の内側に御子が啓示されたというものであった。手紙の文面では、生前のイエスと関連づけて理解したものではなく、キリストとはユダヤ教の神からくるものであり[37]、それは、これまで自分が迫害していた集団でイエスと呼ばれていた者であった、というくらいの内的な転換であった。そののちパウロは、ただちに使徒の住むエルサレムに赴くことはせずアラビア行きを実行したと記していることからも、使徒たちの伝承してきている話を精査してゆく方向にはすすまなかった。むしろ後年の使徒会議における使徒たち(割礼にこだわっていた)のことを、かの「大使徒たち」と呼ぶような関係にあった。[38]手紙の中で、自分はその人たちに何ら劣っていないとパウロは表明している。そのことから見てもパウロは使徒たちの伝承してきている教えには、批判的なところも感じていたようである。後年使徒会議のためにエルサレムに赴いたときは、啓示によってエルサレムに行くことになったと記していることや、自身はユダヤ教において卓越していて、父祖たちの伝承に熱心であり、民族の中でも勝っていた[39]と自分を位置付けていたことも、自分は大使徒たちに何ら劣っていないとする自信の裏づけとなっていたようだ。また、当時の教会の中には、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たちがいて、次に力ある業、次に癒しの賜物、補助の働き、指導能力、種々の異言などの順列があったとパウロはしている。[40]これらは聖霊による恵みの賜物であると記されている。当時聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊と考えられていた。しかし、世の終わりでもないのに聖霊現象が信者に出現したのは、終末の賜物の先取りであり、「霊の手付金」であると信者によって受け止められていた。そしてそれらはキリストの復活で現実のものとなった、という解釈が教会内においてなされていた。[41]初期のエルサレム教会に伝わっていた伝承や予言はいくつかあり、大使徒の話を聞くことは無くても、そうした伝承にはパウロも影響を受けていたと思われる。そうしたことからパウロはテサロニケ第一の手紙において、復活したイエスはキリストであり、復活は世の終わりを現実のものとするものであり、彼は自らの啓示に現れたユダヤ教のキリストであったと記した。パウロは、自分が生きているうちにやってくる主の来臨の時には、啓示に出現したキリストによって生き残ったままで救われることになったという信仰を奥義として信者に説いていた[42]。50年ころ、パウロはテサロニケの信者への手紙の中で、下記のような終末観を表明している。[43]生きているうちに主の来臨がおきる。生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。[44]

パウロはユダヤ教時代から、分派を嫌った。イエスはユダヤ教に言われるところのキリストだとする集団 [45]を迫害したのも、パリサイ派としてユダヤ教の中の一派としての異端を排除しようとした行為である。[46]後世においてキリスト教が国教化された後にも継承されてゆく分派、異端排斥は、ナザレのイエスが分派・異端を仲間として容認したこととは、大きく異なっている。[47]ナザレのイエスが信仰していたのは平和の神であるとされていて[48]、パウロも手紙において平和の神という語を多用していたけれど、異端者に対しては平和的でなかった。[49][50]。イエスの啓示を受けて回心したとされた後でも、その排他性・異端排斥性に変化はなかった。手紙の中では、呪ってはならないという指導を信者に対してなしているが、これは内的な啓示で受けた言葉をそのまま繰り返しただけのようである [51]。異邦人への伝道をするようになっても、党派心、分裂、分派を為す者は神の国を受け継ぐことはないと説いている。[52]そして、自らの異邦人への伝道を「キリストの福音」であるとして、キリストの福音を変質しようとする者に対して呪いの言葉を記している。[53][54]

パウロとナザレのイエスの教説の異なっている点は、異端排斥と並んで、終末観があげられる。ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。[55]なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており[56] 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。[42]。一方、ヨハネ福音書[57]はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている。[58]ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。[58]ちなみに、この世の支配者に対する、裁きの時がすでに来ている例としては、聖霊を冒涜するものは永遠の罪に定められる、とするイエスの教説[59]、があげられる。これはキリスト信者を激しく迫害していたと述懐していたパウロにも十分当てはまる罪であったと考えられる。ユダヤ教徒が、ユダヤ教に精通し、義を求めて熱心に信仰しているというだけで、聖霊冒涜の永遠の罪を犯すリスクにさらされるということは不可思議なことである。また、永遠の罪というのは、原罪という枠組みを超えていて、かつ日常的な精神の悪であるようにも見える。罪からの救いを求め、信仰義認論を説いていたパウロは、書簡の中で、自分が救われるためには、あるいは救いの経験があったのは、信仰だったということを述べている。
パウロ書簡詳細は「パウロ書簡」を参照

パウロ書簡には新約聖書中真性書簡として『ローマの信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙一』『コリントの信徒への手紙二』『ガラテヤの信徒への手紙』『フィリピの信徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙一』『フィレモンへの手紙』があり、偽名書簡として『エフェソの信徒への手紙』『コロサイの信徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙二』『テモテへの手紙一』『テモテへの手紙二』『テトスへの手紙』がある。


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