パイロット_(航空)
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特に日本より大幅に安いためアメリカでPPLを取得して日本の自家用操縦士に切り替える者もおり、FAA指定の航空身体検査に対応した病院や書類の記入など事務作業を代行するサポートする会社も存在する[21]

一般向けのスクール以外にも、プロ操縦士に必要なクルー・リソース・マネジメントの教育、曲技飛行やレシプロ戦闘機の空中戦闘機動など曲技飛行や航空ショーで必要となる技能を教授する専門スクールも存在する。また一部のフライスクールでは移民局の認可を受け専門学校生向けのM-1ビザで滞在することも可能であるため、世界各国から学びに来る者も多い[24]。フライトスクールが多いため、エアラインパイロットを目指す者は自主的にCPLを取得して教官やエアタクシーで経験を積み、中小、大手とステップアップするのが基本である。

以前から軽飛行機に限定されるもののPPLよりも取得しやすい「Recreational pilot」が存在していたが、2004年10月には「sport pilot」が新設された。機種がLSA(Cessna 162など)に限定され、FAAの独自免許であるため他国の免許に書き換えられないなどの制限があるが、費用がPPLの半額ほどで航空身体検査が不用などRecreational pilotよりも条件が緩いため簡単に取得できるとされる[25]

資格証明証は当初旅券サイズ3つ折りであったが、現在ではクレジットカードサイズのプラスチックカードになった。表面にはライトフライヤー号、裏面にはライト兄弟の肖像が描かれている。顔写真は無く、性別、瞳の色髪の色の項目が存在する。

FAAの資格証明証の表に描かれたライトフライヤー号

FAAの資格証明証の裏に描かれたライト兄弟

131番目に発行された旧書式の資格証明証

日本

日本の航空関連の民間での資格(航空従事者技能証明)は、航空法によって、次のように区分されている[2]

自家用操縦士

准定期運送用操縦士

事業用操縦士

定期運送用操縦士

一番上の自家用操縦士は比較的取得しやすく、一番下の定期運送用操縦士は相対的に難しいものとなっている。

日本初の操縦士は1910年8月25日にファルマンの飛行学校で試験に合格(免許証番号289号)した徳川好敏とされる。また日本初の女性パイロットは兵頭精である。

第二次世界大戦には国際基準の免許体系に改正されたが、戦後、GHQの指令(SCAPIN-301)により操縦士の養成、訓練等が禁止された時期があった[26]

実際に飛行を行うには別途「航空身体検査証明」が必要であり、さらに一定の期間内に「特定操縦技能審査」[注釈 4][27] に合格していなければならない。また国外への飛行には「航空英語能力証明」も必要である。

航空従事者の技能証明書はクレジットカードサイズの紙で、無線従事者免許証と類似した書式である。

資格取得には筆記試験と身体検査の他、実際に航空機に搭乗して操縦を行う訓練が必要であるため、国土交通省に認可された養成所で訓練が必要となる。航空大学校や自衛隊も指定養成所として認可されている。

日本では、主要なエアラインの操縦士は航空大学校出身者が40 %[28]、自社養成が34 %、私立大学の操縦士コース、自衛隊操縦士の割愛制度による供給、外国人が26 %であり[11]、民間のフライトスクールで資格を取得した者は少ない。自主的に取得した者としてはPeach Aviationサニー横山がいる。

2010年以降は格安航空会社の登場により操縦士不足が深刻化しており、日本では2030年ごろに定年による退職をカバーするため年間400名規模の採用が必要となる「2030年問題」がある[17]。対策として防衛省が自衛隊の操縦士を早期退職させる制度を復活させ、自社養成に拘っていた日本航空全日本空輸が航空大学校からの受け入れや私立大学と提携して操縦士養成コースを設立するなどの対策をとっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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