バーンズは、フィラデルフィア郊外のケンジントンで生まれた。最初にペンシルベニア大学で医学を学んだ後、1896年から1900年にかけてドイツのベルリン大学などで生理学や薬学の勉強・研究を続けた。そして銀軟膏「アルジロル」などにより、製薬業で財を成すに至る。
ハイ・スクール時代から、後にニューヨークを中心に活躍するアメリカの新世代の画家の一員となるジョン・スローン、ウィリアム・グラッケンズの2人の友人とともに絵を描いていたことから、絵を描くことへの関心はあった。友人のグラッケンズは、バーンズの作品購入に関する助言者でもあり、1912年にはバーンズの依頼を受けて本格的なコレクションの始まりとなる20点ほどの作品をパリで購入している。バーンズ本人も頻繁にパリで作品を購入し、1915年頃のバーンズのコレクションには、ピエール=オーギュスト・ルノワール50点、ポール・セザンヌ15点が存在していた。
第一次世界大戦で作品収集は中断するが、バーンズは1921年にパリで作品収集を再開する。バーンズのコレクションにおける1920年代のキーパーソンは、新進の若手画商のポール・ギヨーム (1891年 - 1934年) であった。詩人で美術評論家のアポリネールと懇意であったギョームは、1914年に画廊をオープンし、パブロ・ピカソやアンリ・マティスをはじめとする多くの画家の作品を先見の明をもって扱っていた。画廊が発行する小冊子にバーンズのコレクションの記事を載せるなど画商と顧客を超えた密接な関係となり、ギョームは1922年の財団設立時に財団の役員となった。 フランス近代絵画の中には、ピエール=オーギュスト・ルノワール181点、ポール・セザンヌ69点、アンリ・マティス60点、パブロ・ピカソ46点、シャイム・スーティン21点、アンリ・ルソー18点、アメデオ・モディリアーニ16点、エドガー・ドガ11点、フィンセント・ファン・ゴッホ7点、ジョルジュ・スーラ6点、エドゥアール・マネ4点、クロード・モネ4点が含まれる。印象派をいち早く評価し有名にしたことで知られるフランスの画商ポール・デュラン=リュエルより100点以上の絵画を購入している[6]。 その他エル・グレコやゴヤの作品、エジプト美術なども所蔵している。 コレクションはバーンズの私邸だった館に展示されていたが、その展示方法は他に類を見ないものであった。作品は作者別や年代別ではなく、展示されている家具やその他の美術品・装飾品と共に色彩、構成、形、バランスを考慮し、バーンズの独特の美学に基づいて展示されていた。公開日は季節により変わるが金、土、日の週3回のみで、事前予約がないと入れなかった。2012年の移転後も入館は予約制である[5]。 1994年1月22日から4月3日にかけて『バーンズ・コレクション展』が東京・国立西洋美術館で開催され、107万人以上の来館者を集めた[7]。
コレクション
バーンズ・コレクション展
脚注^ Alfred H. Barr, Jr. and the Intellectual Origins of the Museum of Modern Art P.109
^ James Panero (2011年7月1日). ⇒“Outsmarting Albert Barnes”. Philanthropy
^ “美術品陳列室の市内移転を 米バーンズ財団が許可申請
^ ⇒“Philly Home for Barnes Collection to Open May 19”. (2011年9月15日). ⇒http://www.nbcphiladelphia.com/news/local/Philly-Home-for-Barnes-Collection-to-Open-May-19-129904903.html 2012年1月19日閲覧。
^ a b 沢山遼. “ ⇒バーンズ・コレクション”. artscape. 大日本印刷. 2018年8月13日閲覧。
^ ⇒Durand-Ruel: The Art Dealer Who Liked Impressionists Before They Were CoolNPR, August 18, 2015
^ “ ⇒バーンズ・コレクション展”. 国立西洋美術館. 2012年1月23日閲覧。