バーレーン
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時間帯UTC+3 (DST:なし)
ISO 3166-1BH / BHR
ccTLD.bh
国際電話番号973

バーレーン王国(バーレーンおうこく、アラビア語: ????? ???????‎, ラテン文字: Mamlakat al-Ba?rayn, マムラカト・アル=バフライン)、通称バーレーンは、西アジア中東に位置し、ペルシア湾バーレーン島および大小33の島(ムハッラク島など)からなる立憲君主制国家。首都はマナーマ

王家のハリーファ家クウェートサバーハ家サウジアラビアサウード家と同じくアナイザ族(英語版)出身でスンナ派であるが、1782年以前はシーア派以外の宗派を認めていなかったサファヴィー朝アフシャール朝の支配下にあった経緯もあり、国民の大多数をシーア派が占める。

1994年以後、シーア派による反政府運動が激化し、2001年2月に行われた国民投票によって、絶対王政の首長制から立憲君主の王制へ移行と共に王国へ改名した。
国名
つづりや発音

正式名称はアラビア語で ????? ???????(ラテン文字:  Mamlakat al-Ba?rayn マムラカト・アル=バフライン, 実際には一気読みによりマムラカトゥ・ル=バフラインとなる)、通称 ???????( al-Ba?rayn / al-Ba?rain, アル=バフライン)。

2002年バーレーン国(State of Bahrain)から現在の名称に変更した。

公式の英語表記は Kingdom of Bahrain。通称 Bahrain。国民・形容詞は Bahraini。

日本語の表記はバーレーン王国。通称バーレーン。バハレーン、バハレインと書かれることもある[3]正則アラビア語での発音に即した学術的なカタカナでは「バフライン」になるが、日本語のフは「f」の響きを持つため実際には「バハライン」の方がアラビア語での発音に近い。

なおラテン文字転写al-Ba?raynのay部分は実際には二重母音のaiであるため、al-Ba?rainという表記もあり、全く同じ発音となる。al-Ba?raynという転写とal-Ba?rainという転写の間に特に差異は無く、アラビア文字でのつづりも全く同一である。

さらに口語アラビア語(現地方言、周辺方言など)では二重母音の発音となるay(ai)部分がエイ、エーとなるためアル=バハレイン、アル=バハレーンと読まれる。これらが日本語カタカナ表記で見られるバハレーン、バハレインの根拠となっている。

日本で用いられているバーレーンでは英語における発音を経由したために「バー」となっており、アラビア語において本来バハレーンと聞こえる口語発音の語頭Bah-部分をバフやバハではなくバーと伸ばしたカタカナ表記としたものである。
国名の意味

国名の ????? はアラビア語で「二つの[注 1]という意味であり、島に湧く淡水と島を囲む海水を表すとされている。

なお、サウジアラビア東部からオマーンを含む広い範囲はアラビア語で同じく ??????? と呼ばれる(特に18世紀以前の同地域を指す時)[4]
歴史詳細は「バーレーンの歴史(英語版)」を参照

かつてはディルムン文明と呼ばれるエジプト文明シュメール文明に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは真珠の産地であった。

16世紀ペルシャの圧力を受ける中、ポルトガルが進出

1782年 ハリーファ家がカタールから移住。支配が始まる

1867年 カタール・バーレーン戦争(英語版)

1868年 イギリス・バーレーン合意(英語版)

1880年 イギリス保護国となる

1931年 アメリカ国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(英語版)(通称SoCal。現:シェブロン)の子会社であるBahrain Petroleum Company(BAPCO)が石油を発見

1968年 イギリス軍スエズ以東撤退が発表されたのを契機に、バーレーンを含む湾岸の9首長国が連邦結成協定を結ぶ

1971年 バーレーン国として独立

1975年 議会廃止

1994年 - 1999年 1990年代バーレーン蜂起(英語版)

2001年 民主化推進に向け、国民投票を実施

2002年 絶対君主制から立憲君主制へ移行し、国名をバーレーン王国へ改称

2011年 バーレーン騒乱。シーア派による反政府デモが起こる

地理バーレーンの地図詳細は「バーレーンの地理(英語版)」を参照

サウジアラビアの東、ペルシャ湾内にある群島。主な島はバーレーン本島・ムハッラク島・シトラ島(英語版)で、バーレーンには計33の島がある[5]。国土の大半が砂漠石灰岩に覆われている。面積は日本の琵琶湖とほぼ同程度である。

ケッペンの気候区分砂漠気候(BW)。

サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という全長約24kmの橋によって結ばれている。拡大
Clip 地形図
地方行政区分地方行政区分詳細は「バーレーンの行政区画」を参照

4つの県がある。2003年7月3日までは12の行政区に分けられていた。
南部県

北部県

首都県

ムハッラク県

都市詳細は「バーレーンの都市の一覧」を参照
政治詳細は「バーレーンの政治(英語版)」を参照
政体

かつては絶対君主制で、「クウェートより危うい国」とされていたが、湾岸戦争以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長(アミール)であるシャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファの下で次々と民主化を実行し、2002年より政体を立憲君主制とし、君主の称号を国王(マリク)と改めた。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王に即位した。二院制国民議会(国王が任命する評議院と直接選挙による代議院)を設置し、内閣には国王によって任命される首相を置き、男女平等参政権司法権の独立などの体制を整えている。
外交「バーレーンの国際関係(英語版)」を参照

外交面では中東地域の国々やイギリスフランス日本アメリカを始め、多くの国と良好な関係を築いており、また親米国だが、カタールとはハワール諸島に関する領土問題がある。イラクと関係が悪かったこともあり、湾岸戦争時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランとは、パフラヴィー朝が「バーレーンは歴史的にみてイラン(ペルシア)の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。


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