バーベット・シュローダー
Barbet Schroeder
トロント国際映画祭(2008年)
生年月日 (1941-08-26) 1941年8月26日(82歳)
出生地 イラン・テヘラン
国籍 フランス
職業映画プロデューサー、映画監督、俳優
ジャンル映画
配偶者ビュル・オジエ
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
上院議会金メダル
2000年『La virgen de los sicarios
バーベット・シュローダー(Barbet Schroeder、1941年8月26日 テヘラン - )は、イラン・テヘランで生まれたフランス国籍のスイス人(ドイツ系)で、フランスやアメリカで活躍する映画プロデューサー、映画監督、俳優。フランス語読みのバルベ・シュローデルの名で、エリック・ロメールとともに映画製作会社レ・フィルム・デュ・ロザンジュを創立したことで知られる。 1941年8月26日、イランのテヘランで生まれる。子供のころ地質学者の父に伴いコロンビアに行く。シュローデルは、フランスで教育を受けることを選び、名門リセ・コンドルセ校
来歴・人物
1962年、21歳のとき、当時42歳のロメールとともに製作会社「レ・フィルム・デュ・ロザンジュ」をフランス・パリに設立。同社作品の第一作はロメール監督『モンソーのパン屋の女の子』、同作をもって「六つの教訓話」シリーズの製作を開始となり、プロデューサーはもちろんシュローデルであった。
短編映画を2本演出したのち、ジャン=リュック・ゴダールはシュローデルを『カラビニエ』(1962年12月開始、1963年公開)の助監督に採用した[1]。ロメール監督『シュザンヌの生き方』(1963年公開)をプロデュースするかたわら、ジャン=ルイ・コモリとともに助監督をつとめた。
1965年5月19日、シュローデル渾身の企画、オムニバス映画『パリところどころ』公開。監督は、ジャン=ダニエル・ポレ、ジャン・ルーシュ、ジャン・ドゥーシェ、ロメール、ゴダール、クロード・シャブロルのヌーヴェルヴァーグを代表する6人。アソシエイト・プロデューサー パトリック・ボーショー、アシスタント・プロデューサーにシュローデルのアンリ四世校時代の仲間でのちにジャン・ユスターシュ監督のプロデューサーとなるピエール・コトレルが参加。
1969年、満を持して長編劇映画『モア』で監督デビュー。ルクセンブルクと西ドイツ資本との合作。シュローデル自身がプロデューサーのほかアソシエイト・プロデューサーにコトレル、撮影監督ネストール・アルメンドロス、音楽ザ・ピンク・フロイド。ロザンジュ社異色のロック映画となる。
1978年、INA(フランス国立音響映像研究所)とローザンジュ社とが共同製作したドキュメンタリーフィルム『ココ、言葉を話すゴリラ Koko, le gorille qui parle』を監督。シュローデルは1970年代に4本の長編映画を演出するがいずれも撮影監督はアルメンドロス。
1987年、メナヘム・ゴーラン監督率いるイスラエル系企業ザ・キャノン・グループが、ミッキー・ロークとフェイ・ダナウェイが主演するアメリカ映画『バーフライ』の監督にシュロデールを抜擢、ハリウッド・デビューする。プロデューサーはシュローデル自身とフランシス・フォード・コッポラ。以降、日本では英語読み風のバーベット・シュローダーとして知られるようになるが、英語名はバーベイ・シュローダーだと「死の接吻」のプロモーションで来日したサミュエル・L・ジャクソンが強調していた。
主なプロデュース作品
パリところどころ Paris vu par... (1965)