バーブル
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1508年からバーブルはパーディシャー(パードシャー、「皇帝」の意)の称号を用いる[42]。ヒンドゥスターン遠征後に征服地から租税が送られてくるようになり、おそらくバーブルは権威と威風による支配の有効性に気づいた[43]。パーディシャーを称した後、バーブルは部下や使節などに衣服を下賜することが多くなった[43]。1508年3月に長男フマーユーンが誕生し、翌1509年に次男カームラーンが誕生する。

1510年にシャイバーニーがサファヴィー朝イスマーイール1世との戦いで敗死した後、1511年にバーブルは再び中央アジア遠征を実施する。バーブルはクリャブ、クンドゥーズ、バダフシャーンを奪回したが、独力での勝利は不可能だと考えていた[44]。1511年初頭にイスマーイール1世はクンドゥーズに到達したバーブルにシャイバーニーの元に嫁いでいたハンザーダ・ベギムを送り返し、友好的な書簡を送り届けた[45]。ハンザーダは10年ぶりに再会したバーブルが誰なのか分からず、しばらくしてようやく自分の弟だと理解した[46]。バーブルはイスマーイール1世の元に使者を派遣し、サファヴィー朝への臣従と引き換えに援助を要請した[47]。サファヴィー朝の援軍を加えたバーブルはブハラを奪回し、10月にサマルカンドに3度目の入城を果たすが、サマルカンドに入城したバーブルはイスマーイール1世を崇拝するクズルバシュと同じようにシーア派の服装を纏っていた[47]スンナ派を信奉するサマルカンドの多くの住民はシーア派に属するイスマーイール1世に抵抗を示し、バーブルはサマルカンドを保持することはできなかった[47][48][49]

1512年にシャイバーニーの甥ウバイドゥッラーブハラ奪還を目指して中央アジアに進軍し、同年4月28日にバーブルとウバイドゥッラーはクリ・マリク湖で衝突する。戦力面ではバーブルの軍が優位に立っていたが、戦闘はバーブルの惨敗に終わる[48]。11月に起きたブハラ近郊のグジュドワーン付近での戦闘でもバーブルは敗れ、サマルカンドを失ったバーブルはアフガニスタン北部に留まって反撃の機会を待ったが、事態は好転しなかった[50]1514年/15年にバーブルはカーブルに帰国し[51]、バーブルとサファヴィー朝との協力体制は解体した[48][52]。失敗に終わった1511年の遠征は、バーブルにとって最後のサマルカンド奪回の挑戦となった[53]

1514年8月のチャルディラーンの戦いでイスマーイール1世がオスマン帝国セリム1世に敗れた後、バーブルはサマルカンド回復が極めて困難だと考えるようになる[54][55]。また、チャルディラーンの戦いの経過の情報から着想を得て、バーブルは自軍にも銃火器を導入したと考えられている[51]
デリーへの入城パーニーパットの戦い

3度目のサマルカンドの奪回に失敗した後、バーブルはインドへの本格的な進出を考え始めるようになる[51][56][57]。当時のヒンドゥスターンにはアフガン系の貴族が割拠し、デリーを支配するローディー朝メーワールを中心とするラージプート連合軍と対峙していた[1]

1518年/19年にバーブルはパンジャーブ地方に入り、ビーラを占領した。祖先ティムールのパンジャーブ支配を根拠として、ローディー朝に対して同地の領有権を主張した[56]。パンジャーブ進入に先立つバジャウルの戦いでバーブルは火縄銃を使い、ユースフ・ザイ、ディラク・ザイなどの有力なアフガン系の部族から支持を受ける[53][注 1]。バーブルはインドに銃火器を用いた戦術を本格的に導入し、バーブルが生涯に収めた多くの戦勝をきっかけにインドに火薬と大砲が普及する[58]。バーブルがカーブルに戻った後、ビーラに置いた代官はパンジャーブの領主ダウラト・ハン・ローディーによって追放された。1520年/21年に再びインダス川を渡り、ビーラとシアールコートを占領したが、カンダハールで反乱が起きたためにアフガニスタンに戻らざるを得なくなる[59]。バーブルは領主シャー・ベク・アルグンが籠るカンダハールに包囲を敷き、1522年にカンダハールを陥落させてインド遠征の準備を整えた[60]

1521年にローディー朝の君主イブラーヒーム・ローディーと対立するダウラト・ハン・ローディーは、バーブルに支援を求めた[61]。また、メーワールの領主ラーナー・サンガー(ラーナー・サングラーム・シンハ)らラージプートの領主たちもバーブルに出陣を要請した[59][62]


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