1966年に「いとしのルネ (Walk Away Renee)」をヒットさせていたバロック・ポップ・グループ、レフト・バンクのソングライターでキーボード奏者だったマイケル・ブラウン (Michael Brown)が、1967年にバンドの他のメンバーと対立し、セッションミュージシャンを使ってからレフト・バンク名義のシングル盤「Ivy Ivy / And Suddenly」を制作した際、ボーカルとしてこれに参加し、共作者にも名を連ねた[4][5]。
ソマーは、1968年にミュージカル『ヘアー』のオリジナル・ブロードウェイ公演のキャストとなり、ウーフ (Woof)役を演じた。膨らむような長髪にしたソマーの頭の写真は、この公演のパンフレット類に使用された[4]。
キャピトル・レコードと契約して1969年に最初のアルバムを発表していたソマーは、キャピトルの副社長を辞めてウッドストック・フェスティバルの事業に乗り出していたアーティー・コーンフェルド (Artie Kornfeld)に誘われ、フェスティバルに参加することになった[3]。『ヴィレッジ・ヴォイス』誌に募集広告を出して揃えた2人のミュージシャンを従えて、ソマーはウッドストック・フェスティバルの初日に登場。10曲を演奏し、特にサイモン&ガーファンクルの曲「アメリカ」を演奏した際にはスタンディングオベーションが起こった[2][3]。
ウッドストックでの評判は、翌年の「We're All Playing In The Same Band」のヒットに繋がったが、ソマーにとって不運なことに、ウッドストックのライブ盤や映画の制作権は、最終的にワーナー・ブラザース・レコード及びワーナー・ブラザースに渡り、キャピトルと契約していたソマーの演奏は、ライブ盤にも、映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)にも収録されなかった[3]。ウッドストックへの出演をきっかけに有名になったミュージシャンやバンドが数多くいた一方で、出演し、好評を博したにもかかわらず記録に残されなかったソマーは、やがて「ウッドストックの忘れられた男」となっていった[3]。
1970年代のソマーは、音楽活動を続けたものの表舞台には立てず、俳優業も続けていた[3]。1976年には子ども向けのテレビ番組『The Krofft Supershow』に、番組の中心となるロック・バンド「Kaptain Kool and the Kongs」のメンバーのひとりフラットブッシュ (Flatbush)として出演したが、この番組の第2シーズンには出演しなかった[4]。
その後、ソマーはニューヨーク州オールバニに定住し、地元で音楽活動を続けた[3]。
ソマーは、永く呼吸器疾患を患っていたが、闘病の末、1990年7月23日にニューヨーク州トロイで没した。1990年6月11日に、友人でドラマーのジョニー・ラブ (Johnny Rabb)とトロイで演奏したのが、最後の公演となった[3]。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
The Road To Travel (1969年、Capitol)
『インサイド』 - Inside Bert Sommer (1970年、Eleuthera)
『バート・ソマー』 - Bert Sommer (1970年、Buddha)
Bert Sommer (1977年、Capitol)
参加コンピレーション・アルバム
Woodstock: 40 Years on: Back to Yasgur's Farm (2009年、Rhino) ※ウッドストックにおける演奏を3曲収録したボックスセット
出典・脚注[脚注の使い方]^ 後掲の「ウォールストリート・ジャーナル」紙の記事では6月23日没と解せる記述があるが、公式サイトの記述を尊重する。
^ a b “ ⇒Bert Sommer at Woodstock!”. Victor Kahn. 2011年10月22日閲覧。
^ a b c d e f g h Fusilli, Jim (2009年8月6日). ⇒“Woodstock’s Forgotten Man”. Wall Street Journal. ⇒http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204313604574330730802526224.html 2011年11月21日閲覧。