2014年4月1日より英文社名をNAMCO BANDAI Games Inc.からBANDAI NAMCO Games Inc.に変更した[8]。
2015年4月1日に、社名をバンダイナムコゲームスからバンダイナムコエンターテインメント(BANDAI NAMCO Entertainment Inc.)に変更した[9]。
2018年4月1日に、アーケードゲーム事業を同日付でナムコから商号変更したバンダイナムコアミューズメントへ移管し、バンダイナムコエンターテインメントはコンシューマーゲーム、携帯電話コンテンツの開発、販売の開発に専念することになった。
バンダイナムコグループの再編とロゴマークの変更に伴い、2022年4月1日に社名の英文表記とロゴマークが変更された。
沿革
1955年6月1日 - 有限会社中村製作所として創業。横浜の百貨店の屋上に、木馬2台を設置[10][11]。
1959年 - 株式会社に改組。
1967年 - 大阪事務所(後の関西支社)を開設[12]。
1971年 - namcoブランドの使用を開始。
1974年 - アタリジャパン[注 1]を買収、アーケードゲームに進出。
1977年6月1日 - 株式会社ナムコに社名変更。
1979年 - 日米ゲームメーカーの関係が、これまではナムコとアタリ、またはミッドウェイ(今のミッドウェイゲームズ)とタイトーが親密だったが、各社の事情により『ギャラクシアン』から『パックマン』までは、ナムコとミッドウェイが親密になる。
1984年 - MSXパソコン用の『パックマン』を皮切りとした家庭用ゲームソフト用レーベルとして「namcot(ナムコット)」をスタートさせる。同年2月には任天堂と提携してファミリーコンピュータにもソフトを供給する[13]。
1986年 - イタリアントマトを買収[注 2]。
1988年 - 東京証券取引所2部に上場。その後、神奈川県横浜市港北区(現・都筑区)に「横浜未来研究所」を開設(2008年閉鎖)[14]。
1991年 - 東京証券取引所1部に上場した。
1992年 - ナムコ・ワンダーエッグ開園(テーマパーク事業進出)。
1994年 - 神奈川県横浜市神奈川区に「横浜クリエイティブセンター」を開設。
1995年 - 家庭用ゲームのレーベルnamcot廃止[注 3]。業務用レーベルのnamcoに統合される。NECがWindows 95に対応した3DアクセラレータチップセットのPC用ボードを開発した。ナムコはボードの性能を活かし3DCGゲームソフトをPCへ移植することとなった。[15]
1997年 - 日活に出資、子会社化[注 4]
1997年 - パチンコ・パチスロの液晶基板と映像ソフトの制作を始める。
2001年 - エニックス、スクウェア、およびセガと業務提携。
2005年9月30日 - バンダイと共同持株会社・バンダイナムコホールディングスを設立し、同社の100%子会社になる。
2006年3月31日 - バンダイの家庭用ゲーム事業を譲受し、株式会社バンダイナムコゲームスに商号変更。アミューズメント施設運営組織・新規事業部門の一部事業部門を新設会社「株式会社ナムコ」(2代)に移管。「ナムコ」の商号を受け継ぐ。
2007年
3月6日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントと合弁会社「セリウス」を設立。
5月 - 子会社モノリスソフトの株式80%を任天堂へ譲渡。
6月 - 本社および事業拠点を東京都品川区東品川4-5-15(旧・品川パナソニックビル)に移転。「未来研究所」と命名する(アミューズメント施設運営の〈新〉ナムコは移転せず)。
11月 - 2008年4月1日よりバンプレストのゲーム事業を譲受予定と発表[16]。