バングラデシュ
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世界銀行によると、2021年のバングラデシュのGDPは2,852億ドルであり、一人当たりのGDPは2,503ドル[21]国際連合による基準に基づき、後発開発途上国と位置づけられている[22]。2016年時点で人口の24.3%が貧困線以下である[23]

同国はガンジス川の氾濫により涵養された、世界有数の豊かな土地を誇り、外からの侵略も絶えなかった。「黄金のベンガル」と言われていた時代もあり、膨大な人口と労働力を持っていることから経済の潜在能力は高いが、洪水などの自然災害の影響で現在では貧困国の一つに数えられる。

バングラデシュは内外問わずに援助を受けているにもかかわらず、過剰な人口や政治汚職などによって未だに貧困を脱しきることが出来ないでいる。バングラデシュの発展を阻害しているものとしては、多発するサイクロンやそれに伴う氾濫などの地理的・気候的要因、能率の悪い国営企業、不適切に運営されているなどインフラの人的要因、第一次産業のみでは賄い切れない増加する労働人口などの人口要因、能率の悪いエネルギー利用法や十分に行き渡っていない電力供給などの資源的要因、加えて政治的な内部争いや汚職などの政治的要因、国内で頻繁に行われているゼネラルストライキの一種であるハルタル(ホルタル)が挙げられる。しかし近年は後述の通り繊維産業の台頭により2005年?2015年にかけては年平均6.2%と高い経済成長率を記録している[24]。また膨大な労働人口と安い労働コスト(英語版)が評価され、NEXT11にも数えられている。
通貨

通貨単位はタカ。レートは1米ドル=83.28タカ(2018年2月7日時点)。
農業詳細は「バングラデシュの農業(英語版)」を参照水田

人口の42.7%は農業に従事し[23]、国民の7割以上が農村に住む。主要農産品はコメおよびジュート(コウマシマツナソ)、である。コメの生産量は世界第4位で、かつ生産量も年々微増している。国連食糧農業機関(FAO)によると穀物自給率は90%を超え、特に米に関しては消費量のほぼ全てを自給している。

バングラデシュの稲は雨季前半に栽培されるアウス稲、雨季後半に栽培され収穫の中心となっているアマン稲、乾季に栽培されるボロ稲の3種に分かれる。気候的に二期作や三期作も可能であるが、乾期にはガンジス川の水位が低下するため、行える地域は限られていた。しかし、井戸の普及や改良種の普及により、特に乾季のボロ稲の農業生産が大幅に拡大し、それにつれてアウス稲やアマン稲の生産も増加を示した。それによって、二期作や三期作の可能な地域も増加して米の生産量が大幅に増大した[25]。これがバングラデシュにおける「緑の革命」といわれる農業生産の近代化促進である。緑の革命は国家政策として行われたが、緑の革命は農家の設備投資支出の増大を強いた。一方で生産量増大はその負担を埋めるまでにいたらないという問題を抱えている。

ジュートは農産品として最も重要な輸出品であるが、1980年代以降化学繊維に押され重要性は下がってきている。ジュートに次ぐ輸出農産品の紅茶は主に、紅茶の名産地として知られるインドのアッサム州に隣接する北部シレット地方において栽培されている。19世紀にはの世界最大の産地であったが、化学染料の発明と普及により生産は激減した。
繊維工業バングラデシュの服飾工場

バングラデシュの繊維工業の発展は経済成長によって繊維生産が不振になり始めた韓国香港からの投資をきっかけに、1970年代に起こり始めた。近年では中国の労働コスト上昇に伴い、バングラデシュの廉価な労働コスト(月給が中国の1/3)が注目されており、繊維製品などの軽工業製品の輸出は増大している。これにより、ようやく軽工業が発展し経済発展を果たしている。現在、バングラデシュの輸出の80%は繊維製品によって占められている。チャイナ+1の製造国として非常に注目を集めており、大手繊維メーカーなどの進出が多く行われており、バングラデシュ経済を担う一大産業となっている。
重工業

軽工業だけでなく、重工業も発展しつつある。日本の本田技研工業オートバイ工場を建設したほか[26]廃船の解体から造船業が成長している[27]
鉱業

バングラデシュは鉱物資源に恵まれないが、人件費が安いことからチッタゴンには世界最大の船舶解体場があり、国内で使用される鉄の60%はここからのリサイクル品で賄うことができる[28]

唯一ともいえる地下資源が天然ガスで、1908年に発見される。その後、イギリスの統治時代にも開発が続けられ、独立以後は外国資本による生産分与方式(PS方式)で進められた。政府は1970年代より天然ガス資源の探査、生産を推進し、1984年のバクラバードガス田(チッタゴン)操業開始をはじめ、17のガス田を開発した。1997年には全国を23鉱区に分け、企業入札が実施された。2003年時点の採掘量は435千兆ジュール。2008年時点で12のガス田、53の井戸から日量13億立方フィートの生産可能となっている。ガス田はジョムナ川より東側に分布しており、パイプラインで輸送されている。現在ボグラ市まで達している。埋蔵量(『オイル・アンド・ガス・ジャーナル』2002年4月の記事)は、生産中及び確認・確定埋蔵量は、28.8兆立方フィート。アジア地域では、マレーシア80兆、インドネシア72兆に次ぐ埋蔵量。埋蔵量については種々の試算方式があり、それぞれに大きな開きがある。ガスの消費は発電で約50%、約40%が工場で、約10%が個人世帯・商業で利用されている。ガス管敷設距離の延長に伴い個人用消費が伸び、最近の10年間で年率10%を超えている[29]
労働力

雇用は貧しく40%が不完全な雇用である。産業別の労働人口比率は、2016年のデータで農業が42.7%、サービス業が36.9%、鉱工業が20.5%であり、近年の急速な繊維産業の成長により工業化が進む現在においても、未だ本質的には農業国である[23]。しかし、貧富の差や農地面積に比して人口が多すぎるため、農地だけで充分な生計を立てられる世帯は4割程度に過ぎず、残りの6割は小作農日雇い労働者として生計を立てている。近年ではグラミン銀行などが進めるマイクロ・クレジットの拡大や経済成長によって貧困層の一部に生活向上の兆しがあるものの、貧困は未だ深刻な問題となっている。

人件費が安いことから、船舶の解体や処分場など3Kの仕事を先進国から引き受けている。労働人口は(2021年)7,096万人である[23]
労働力輸出

バングラデシュの貿易収支は輸入品より輸出品のほうが少なく、常に大幅な赤字となっている。これを多少なりとも埋めるのが、外国へ出稼ぎに行った労働者たちの送金収入である。1997年には出稼ぎ労働者は総計40万人を超えた。出稼ぎ先はイスラム教国が多く、最大の出稼ぎ先はサウジアラビアで出稼ぎ労働者の3分の2を占め、クウェートアラブ首長国連邦など他のペルシア湾岸産油国にも多く労働者が向かっている。東では、マレーシアシンガポールに多い。日本にも約1万7千人の在日バングラデシュ人が存在する[30]
NGO

首都のダッカなど都市部ではNGO、農村部ではグラミン銀行による貧困層への比較的低金利融資を行なう事業(マイクロクレジット)が女性の自立と貧困の改善に大きな貢献をしたとして国際的に注目を集めている。2006年にはグラミン銀行と創設者で総帥のムハマド・ユヌスは「貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献」を理由にノーベル平和賞を受賞し、バングラデシュ初のノーベル賞受賞者となった。また、2008年にはインターネット網が農村、学校などにまで広げられ、大々的にこれを祝った。NGO が多く存在する中でも筆頭がBRAC(Bangladessh Rural Advancement committee バングラデシュ農村向上委員会、通称ブラック)である。


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