バレンタインデー
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日本では、1958年(昭和33年)ごろから流行した[12][13]。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。

戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われている。「女性男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。菓子店の企画と広告、キャッチコピー、宣伝方法、百貨店とのタッグなどによる商戦の成功であったといわれている。なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニー原邦生であるとされる[14]。原はその時「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーをつけたといわれている。口コミで広がり、マスコミも報道した。また原は著書の中で「1958年、当時学生だった私に、パリ在住の商社マンの先輩から寒中見舞いが届いた。そのハガキには「こちら(パリ)にはチョコレートや花、カードなどを贈り合う”バレンタイン”という習慣があります」と書かれていた。早とちりなところのある私は、その文章の「チョコレート」の部分だけに目がいってしまい、うっかり「ヨーロッパは女性が好きな男性にチョコレートを贈る」といった意味に取り違えてしまったのである。」と記している。

原邦生が行ったとされるイベントは1958年(昭和33年)であるのに対し、神戸モロゾフ製菓(現・モロゾフ)が20年以上前の1936年(昭和11年2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー (The Japan Advertiser) 』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力である。

そして日本チョコレート・ココア協会によると、1992年(平成4年)に聖バレンタイン殉教の地イタリアテルニ市から神戸市に愛の像が送られており、その理由は、「神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と、分かったから」との事である。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

バレンタインチョコの例

バレンタインチョコの例(2011年2月14日撮影)

バラの花

神戸市に贈られ神戸布引ハーブ園に設置された「愛の像」(アウレリオ・デ・フェリーチェ(英語版)作)

特徴

日本では、女性がアプローチしたい意中の男性に愛情の告白として本命チョコを贈る習慣がある。

西欧米国でも、恋人やお世話になった人に『チョコレート』を贈ることはあるが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに限ったことでもない。女性から男性へ贈るのが殆どという点と、贈る物の多くが『チョコレートに限定されている』という点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。しかし2017年には、本命チョコにこだわらず、クッキーケーキ、マフラーなどを贈る人もいた。

また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」、自分で買って食べる「自己チョコ」、男性が男友達に送り合ったりする「強敵(友)チョコ」というものも見られる。

「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると、以下の3点となる[15]

贈答品にチョコレートが重視される点。

女性から男性へ一方通行的贈答である点。

(女性の)愛情表明の機会だと認識されている点。

このほか、職場における贈答習慣が強い点[† 1]や、キリスト教との直接的関連はほとんど意識されていない点[† 2]も日本型バレンタインデーの特徴である。
起源と紆余曲折

日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、以下のようなものがあるが、判然としていない。
神戸モロゾフ製菓(現在の
モロゾフ)説
東京で発行されていた英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった[† 3]。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。ロシア革命を避けて日本に逃れてモロゾフで菓子職人になっていたバレンタイン・F・モロゾフは、日本に高級チョコレートを流行らせようとしていた。なお、モロゾフの本店があった最寄り駅の御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ている。
メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹
同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
森永製菓説、伊勢丹
1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある[17]。しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告は、1956年の西武百貨店松屋の新聞広告、1959年の松坂屋の新聞広告に掲載されており、デパート業界では伊勢丹が最初というわけではない。
プラザ
ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている[18]

ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである[† 4]。各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。

総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。

ただ「愛の日」という点は強調されていた。それはつまり夫婦の日であって、当時の社会通念に照らせば、見合いによる結婚を前提とした付き合い、恋愛結婚は社会的少数者で、しかも結婚を前提としない恋愛と、未婚の未成年者(19歳以下)は想定外であった。しかし、そのような製造販売業者の思惑が続く間は、チョコレートの売り上げは大きく伸びなかった。
日本社会への定着と展開

デパート各店がバレンタインデー普及に努めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークに客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。しかし、オイルショック(1973年)に見舞われ、高度経済成長が終焉した1970年代前半頃になると、チョコレートの売上が急増した[19]。オイルショックによる不況にあえいでいた小売業界がより積極的にマーケティングを行ったとされ、1970年代は日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になった時期とも重なる。


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