バルト海
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しかし、そのオランダとの敵対、競合関係に至ったことにより、スウェーデンは17世紀後半、特にバルト海沿岸諸国を相手とした北方戦争より後に停滞時代を迎えることとなる[17]。この停滞の裏には、北海における三度に渡る英蘭戦争も影響していた。この戦争によってオランダの経済は打撃を受け、オランダ経済の衰退の端緒となった。新たな市場となったイギリスはオランダのような取引相手の主体となることは無かった。それでもバルト海におけるスウェーデンの商業システムは、スウェーデンの海運業の成長を促し、覇権を失った後のスウェーデンの経済的基盤となった[18]。やがてロシアにピョートル大帝が現れ、1700年から大北方戦争を起こし、1703年にバルト海の最奥部に新都サンクトペテルブルクを建設した。この時はまだ、「北方のアレクサンドロス」と呼ばれたカール12世率いるスウェーデンがバルト海沿岸諸国を圧倒していたが、中欧からロシア国内への遠征中、冬将軍とロシアによる焦土作戦にスウェーデン軍は弱体化され、1709年ポルタヴァの戦いでロシアはスウェーデンに大勝し、戦況は一変した。さらに1714年ハンゲ沖の海戦によってスウェーデン艦隊を撃破して、バルト海の制海権を獲得した。最終的に1721年ニスタット条約でロシアはバルト海沿岸地方を獲得し[19]、スウェーデンのバルト海の覇権を打ち破ると共に強大な帝政ロシアが出現した。新たに建設されたサンクトペテルブルクはバルト海地方最大の都市となり、またロシア国内交易網とバルト海交易ルートの結節点のひとつとなり、またロシアの西欧に対する窓ともなった[20]。また、この戦争によって領土を獲得したプロイセン王国も台頭した。バルト海南岸の経済を支えていたバルト・ドイツ人に加え、フランスから亡命してきたユグノーや迫害された新教徒の追放者を東プロイセンに受け入れたため、王国は繁栄に向かった。[要出典]強国となったロシアとプロイセンは、やがて南岸のポーランド(共和国)を緩衝国と見なすようになり、ポーランド継承戦争を経た後、ポーランドとリトアニアは1772年の第一回ポーランド分割1795年の第三回ポーランド分割によって消滅し、西部をプロイセン王国が、東部をロシア帝国が領有することとなった[要出典]。

この頃スウェーデンは、デンマークとロシアに包囲されつつも、1788年から1790年までのロシア・スウェーデン戦争でロシア艦隊に勝利し、バルト海での勢力均衡をある程度回復している。18世紀のバルト海沿岸諸国においては、このロシアとスウェーデンの対立とポーランド分割を除けばほぼ安定していた。しかしこの安定は、1790年代に始まるフランス革命戦争とそれに続くナポレオン戦争の余波によるヨーロッパ全体の動乱に巻き込まれて行くこととなり、ロシア・スウェーデン戦争英露戦争の勃発により、それまでの近世的秩序が崩壊し、バルト海世界は近代への序章を迎えることとなる[要出典]。
近現代

ナポレオン戦争によってスウェーデンは最後に残った属領であるポンメルンおよびフィンランドを喪失し、本土およびノルウェー(スウェーデン=ノルウェー)のみの存在となった。とは言え、スカンディナヴィア半島を幸運にも統一出来たことは、スウェーデンにとって外交政策の選択肢が増えたことを意味していた。ナポレオン戦争後は、中立外交が基本化された時代でもあったが、一方で北欧諸国のナショナリズムが沸き上がった時代でもあった。特に北欧全土を覆った汎スカンディナヴィア主義を利用してスウェーデンは大国復興を目論み、プロイセン王国や帝政ロシアへの牽制を西欧列強と共に行うのである。しかし、汎ゲルマン主義との衝突は、汎スカンディナヴィア主義の挫折に到り、以後、スウェーデンは中立政策を強化していくこととなる。なお、1832年にはイェータ運河が開通し、カテガット海峡スカゲラク海峡を経由して北海へ通ずることとなった。しかし鉄道が導入されたこともあって、イェータ運河はすぐに時代遅れとなった。中世以来スウェーデン領だったフィンランド(スウェーデン=フィンランド)は、フィンランド大公国としてロシア帝国に編入された。ロシア海軍は、1703年以来この海域にバルチック艦隊を設置しており、サンクトペテルブルク近郊のクロンシュタットを本拠地としてバルト海に睨みを利かせていた。1853年に始まったクリミア戦争においては、バルト海でもイギリスフランスとロシアとの戦いが繰り広げられた。1871年にはドイツ帝国が成立し、ドイツとロシアの2大海軍がバルト海において覇を競うこととなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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