バルト海
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

16世紀には、ニシンの群れも海流の変化により完全に北海方面へと移った[15]

バルト海交易で大きな比重を持つようになったネーデルラントは、やがて交易の富を基にオランダ連邦共和国として独立し、17世紀には黄金時代を築き上げる。オランダでは穀物が生育しにくく、穀物のほとんどをバルト海交易から入手していた。またオランダの根幹である造船に必要な木材や亜麻などもバルト海貿易に頼ったため、この貿易はオランダでも非常に重視されており、国の根幹の一つとされていた。この穀物交易はオランダ衰退後も、オランダやイギリス商人たちによって継続され、ダンツィヒリガケーニヒスベルクなどはこの穀物交易、とくにライムギの交易で繁栄した[16]。一方で、ヨーロッパ貿易全体におけるバルト海の地位は、新大陸発見に伴う大西洋・北海方面への交易重心の移動により相対的に低下した。ただし、オランダ海上帝国のように実態はバルト海貿易などヨーロッパ近海に比重を置く国家は近世以降にも継続しており、1523年にデンマークから独立したスウェーデン王国もそうしたバルト海貿易に比重を持つようになった[要出典]。1650年代、最盛期のバルト帝国

そして、こうしたバルト海貿易を巡る国々の中で、17世紀初頭の「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ・アドルフのスウェーデンの時代に勢力を伸ばし、およそ1世紀の間バルト海の覇権を握った。この時期のスウェーデン王国を、後世ではバルト帝国、あるいはマーレ・バルティクム(バルト海のラテン語名)と呼び表すようになった。スウェーデンがバルト海での覇権を持った裏には、オランダとの貿易関係があった。スウェーデンは武器などの金属貿易によって西欧との経済関係が築かれたが、その最大の取引相手がオランダだった。しかし、そのオランダとの敵対、競合関係に至ったことにより、スウェーデンは17世紀後半、特にバルト海沿岸諸国を相手とした北方戦争より後に停滞時代を迎えることとなる[17]。この停滞の裏には、北海における三度に渡る英蘭戦争も影響していた。この戦争によってオランダの経済は打撃を受け、オランダ経済の衰退の端緒となった。新たな市場となったイギリスはオランダのような取引相手の主体となることは無かった。それでもバルト海におけるスウェーデンの商業システムは、スウェーデンの海運業の成長を促し、覇権を失った後のスウェーデンの経済的基盤となった[18]。やがてロシアにピョートル大帝が現れ、1700年から大北方戦争を起こし、1703年にバルト海の最奥部に新都サンクトペテルブルクを建設した。この時はまだ、「北方のアレクサンドロス」と呼ばれたカール12世率いるスウェーデンがバルト海沿岸諸国を圧倒していたが、中欧からロシア国内への遠征中、冬将軍とロシアによる焦土作戦にスウェーデン軍は弱体化され、1709年ポルタヴァの戦いでロシアはスウェーデンに大勝し、戦況は一変した。さらに1714年ハンゲ沖の海戦によってスウェーデン艦隊を撃破して、バルト海の制海権を獲得した。最終的に1721年ニスタット条約でロシアはバルト海沿岸地方を獲得し[19]、スウェーデンのバルト海の覇権を打ち破ると共に強大な帝政ロシアが出現した。新たに建設されたサンクトペテルブルクはバルト海地方最大の都市となり、またロシア国内交易網とバルト海交易ルートの結節点のひとつとなり、またロシアの西欧に対する窓ともなった[20]。また、この戦争によって領土を獲得したプロイセン王国も台頭した。バルト海南岸の経済を支えていたバルト・ドイツ人に加え、フランスから亡命してきたユグノーや迫害された新教徒の追放者を東プロイセンに受け入れたため、王国は繁栄に向かった。[要出典]強国となったロシアとプロイセンは、やがて南岸のポーランド(共和国)を緩衝国と見なすようになり、ポーランド継承戦争を経た後、ポーランドとリトアニアは1772年の第一回ポーランド分割1795年の第三回ポーランド分割によって消滅し、西部をプロイセン王国が、東部をロシア帝国が領有することとなった[要出典]。

この頃スウェーデンは、デンマークとロシアに包囲されつつも、1788年から1790年までのロシア・スウェーデン戦争でロシア艦隊に勝利し、バルト海での勢力均衡をある程度回復している。18世紀のバルト海沿岸諸国においては、このロシアとスウェーデンの対立とポーランド分割を除けばほぼ安定していた。しかしこの安定は、1790年代に始まるフランス革命戦争とそれに続くナポレオン戦争の余波によるヨーロッパ全体の動乱に巻き込まれて行くこととなり、ロシア・スウェーデン戦争英露戦争の勃発により、それまでの近世的秩序が崩壊し、バルト海世界は近代への序章を迎えることとなる[要出典]。
近現代

ナポレオン戦争によってスウェーデンは最後に残った属領であるポンメルンおよびフィンランドを喪失し、本土およびノルウェー(スウェーデン=ノルウェー)のみの存在となった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:110 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef