1711年にカール大公が神聖ローマ皇帝カール6世に即位してドイツへ戻ると同盟軍がスペインとオーストリアの合邦を恐れ和睦に動き、1713年にユトレヒト条約を締結、カタルーニャの同盟軍も引き上げバルセロナは孤立無援となった。にも拘らずバルセロナ市民は抵抗を続け、7月25日にスペイン軍が包囲したが砲兵の不足で落とせず戦闘は長引いた。
1714年にオーストリアとフランスがラシュタット条約を調印するとフランスが4月から5月に2万の援軍を送り、援軍の指揮官ベリック公が包囲を受け持ち攻撃、8月30日に市内へ入城してバルセロナ側の敗北が決まり、9月11日にバルセロナは降伏してカタルーニャは平定された。フェリペ5世は戦後スペインを中央集権国家に作り変えることを目指し、新国家基本法で反抗したアラゴン・バレンシア・カタルーニャの自治権を取り上げ、カタルーニャ語の禁止、大学の廃止などカタルーニャは閉塞を強いられていった。陥落の9月11日はカタルーニャの記念日(カタルーニャの日)となっている。
参考文献
友清理士『スペイン継承戦争 マールバラ公戦記とイギリス・ハノーヴァー朝誕生史』彩流社、2007年。
岡部明子『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』中公新書、2010年。
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