バルセロナオリンピック
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ピレネー犬をモチーフにデザインされた。作者はバレンシア出身のハビエル・マリスカル。作者によると「空想の動物」。テレビアニメコビーの冒険』も製作され、日本NHKテレビでも放送されている。
公用語

開催にあたり大会の公用語として、カタルーニャ州の公用語であるカタルーニャ語スペイン語と並んで採用された[注釈 1]。開会式・閉会式の入場順はフランス語が用いられている。
式典エスタディ・オリンピコ(オリンピック・スタジアム)ホセ・カレーラス

文化的特徴に富み、美術、芸術面で著名な人物を輩出し続けるスペインらしく、開会式、閉会式ともに音楽監督でカタルーニャ生まれで世界的に人気の高いテノール歌手のホセ・カレーラスや、モンセラート・カバリェをはじめとする多くのスペイン人歌手の他にも多くのアーティストが参画し、近年でもまれに見る芸術性の高い開会式、閉会式であると絶賛された。
開会式

フアン・カルロス1世によって開会が宣言された。

三大テノール」の1人として世界的に著名なホセ・カレーラスが音楽監督を務めた。このこともあってか、数多くのオペラ歌手が出演した。プラシド・ドミンゴアグネス・バルツァ、モンセラート・カバリェ、テレサ・ベルガンサアルフレード・クラウス、ファン・ポンス・ジャコモ・アラガルの7人が開会式のフィナーレを飾った。

モンセラート・カバリェと「バルセロナ」をデュエットしていたクイーンフレディ・マーキュリーが登場する予定だったが、前年エイズで死去したため、開会式で歌われることはなかった[2]。また公式CDアルバムではマーキュリーと、マーキュリーが敬愛するカバリェがデュエットした「バルセロナ」が、急遽ボーナストラックとして追加された。

ソプラノ歌手ジェシー・ノーマンが「アメイジング・グレイス」を歌った。

後半では坂本龍一地中海の神話をモチーフにしたマスゲームの音楽「El Mar Mediterrani」を作曲、指揮した。

聖火台への聖火の点火には弓矢が用いられた。担当したのはパラリンピックアーチェリー選手のアントニオ・レボージョであった。この演出については五輪史上最も劇的で美しいとの呼び声高い演出だった[3]

キューバの首相でありスペイン出身のフィデル・カストロ、フランスの大統領であるフランソワ・ミッテラン、日本の皇太子である徳仁らが列席した[4]

旧ソ連統一チーム (EUN) の入場ではチーム名の Equipe Unifiee, Unified Team が記載されたプレートと五輪旗のみならず構成国の国名プレートと国旗も先導した。チーム名と構成国の国名の場内アナウンスもされた[4]

映像
Barcelona 1992 Opening Ceremony - Full Length - Barcelona 1992 Replays - YouTube[4]
閉会式

ホセ・カレーラスと
イギリス人歌手のサラ・ブライトマンがテーマ曲「AMIGOS PARA SIEMPRE」を歌い、大きな盛り上がりを見せた。

プラシド・ドミンゴがオリンピック旗降下の際、オリンピック賛歌を歌い、絶賛された。

クリスティーナ・オヨスが「恋は魔術師」第8曲:火祭りの踊りを踊った。

当地出身のソプラノ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスがカタルーニャ語で感動的な「鳥の歌」を歌い、曲が終わるところで聖火が静かに消えた。

ハイライト

柔道男子78 kg級で、後に
総合格闘家としても活躍する日本の吉田秀彦が金メダルを獲得した。吉田は大会直前に同71 kg級の古賀稔彦と練習(乱取り)を行ったが、その最中に古賀が左膝を負傷するという事故が発生した。しかし古賀はその負傷をおして出場し、吉田とともに金メダルを獲得している。

この大会から柔道女子が正式種目となり、当時高校生であった田村亮子などが出場し、7階級で銀3個、銅2個を獲得したが、金メダルを獲得することはできなかった。

男子陸上400mで、日本の高野進が決勝進出し、8位に入賞した。日本のオリンピック短距離選手として1932年ロサンゼルス五輪吉岡隆徳以来となる60年ぶりのファイナリストであった。

当時中学2年生で14歳になったばかりの岩崎恭子が、200 m平泳ぎで当時のオリンピックレコードを塗りかえ、金メダルを獲得した。

男子陸上マラソンでは、森下広一1968年メキシコシティーオリンピック君原健二以来24年ぶりの銀メダルを獲得した。

女子陸上では、マラソンの有森裕子1928年アムステルダムオリンピックの800 mの人見絹枝以来64年ぶりの銀メダルを獲得した。

男子バスケットボールでは、アメリカがNBAプレイヤーで固めた「ドリームチーム」を結成し、他チームを圧倒して金メダルを獲得した。

この大会から野球が初の正式競技となり、アマチュア大会で無敗記録を続けていたキューバが金メダルを獲得した。またバルセロナオリンピック野球日本代表は予選リーグでキューバ、台湾に完敗し5勝2敗の2位で予選を通過。準決勝では台湾と再戦したが、郭李建夫の好投を許し敗戦。3位決定戦では3大会連続でアメリカと対戦し、8-3で勝利。3大会連続のメダルを確保し、背番号18を背負った伊藤智仁が1大会27奪三振のギネス世界記録

この大会からサッカーに年齢制限が導入された(前年の12月31日時点で23歳未満)。オーバーエイジ枠は無かった(導入は次大会から)。

この大会からボクシングが、国家代表のみならず大陸代表でなければ出場不可能となった。ライト級2回戦で日本及びアジア代表の法大4年土橋茂之がフランス及びヨーロッパ代表のジュリアン・ロルシーに2RRSC負け。

この大会からアパルトヘイトの緩和を受け、南アフリカの参加が承認された。1960年ローマオリンピック以来、32年ぶり(8大会ぶり)の参加となった。

競技会場

アネラ・オリンピカ

エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニスエスタディ・デ・モンジュイック)(開・閉会式、陸上競技)


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