バルカンという言葉の使用法は19世紀末から20世紀の始まり頃に変化し、その用法はセルビアの地理学者たち(最も注目されるのはヨヴァン・ツヴィイッチ(英語版))によって受け入れられた[23]。これは南スラヴの領域全てに対する権利を主張するセルビア民族主義を背景とした政治的理由からくるものであった。セルビア民族主義においては南スラヴの人類学的、民族学的研究も通して様々な民族主義的・人種主義的理論が展開された[23]。このような政策とユーゴスラヴィアの地図を通して、バルカンという用語は現代のような地理的領域を説明する用語として確立された[24]。この用語は19世紀後半から第一次世界大戦後のユーゴスラヴィア(1918年当初はセルブ・クロアート・スロヴェーン王国)の建設にいたる政治的変動を受けて[24]、初期の地理的意味合いから遠く離れた政治的・民族主義的意味を獲得した[4]。1991年6月から始まったユーゴスラヴィア崩壊の後、「バルカン」という用語は(特にクロアチアとスロヴェニアにおいて)ネガティブな政治的意味合いを持つようになり、世界的にも武力衝突と領土の断片化を指して自然に使用されるようになった(バルカニゼーションを参照)[23][24]。
東南ヨーロッパ 詳細は「東南ヨーロッパ」を参照
「バルカン」という言葉が内包する歴史的・政治的意味合いなどのために[27]、特にバルカンの西半で争われた1990年代のユーゴスラビアの紛争のために、「東南ヨーロッパ」という用語がますます好まれるようになっている[24][28]。1999年のヨーロッパ連合(EU)のイニシアティブは南東欧安定化協定と呼ばれ、オンライン紙『バルカン・タイムズ(Balkan Times)』は2003年に『サウスイースト・ヨーロピアン・タイムス(英語版)(Southeast European Times)』に改名した。 各国の言語でこの地域(半島)は以下のように呼ばれている。
現在
インド・ヨーロッパ語族
スラヴ語派
ブルガリア語: Балкански полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski poluostrov
マケドニア語: Балкански Полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski Poluostrov
セルビア・クロアチア語: Balkansko poluostrvo, Балканско полуострво; Balkanski poluotok, Балкански полуоток
スロベニア語: Balkanski polotok
ロマンス語派
ルーマニア語: Peninsula Balcanic?
その他の語派
アルバニア語: Gadishulli Ballkanik、およびSiujdhesa e Ballkanit
ギリシア語: Βαλκανικ? χερσ?νησο?、ラテン文字翻字:Valkaniki chersonisos
テュルク語族
トルコ語: Balkan Yar?madas?、またはBalkanlar
定義と境界
バルカン半島イゾンツォ川-ヴィパヴァ川
バルカン半島は西をアドリア海、南を地中海(イオニア海とエーゲ海を含む)とマルマラ海に、東を黒海によって区切られている。北側の境界は常に論争の種であり、文脈により論者により様々な定義が用いられる[29]。20世紀初頭のセルビア人地理学者・民族学者ヨヴァン・ツヴィイッチ(英語版)はドナウ川とサヴァ川を北限とし、ツォイネはバルカン山脈(彼の考えではディナル・アルプス山脈まで続いていた)を北限としていた[29]。現代のハンガリーとルーマニア、そしてスロベニアをバルカン半島(あるいはバルカン)に含めるかどうかも重要な問題であるが一定の基準は存在しない[29]。バルカンと呼ばれる領域は、多少の違いはあるものの、東南ヨーロッパとして知られる領域とほぼ同じである[30][31][32]。