バルカン半島
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

19世紀末-20世紀初頭の文献においては、半島と大陸の間の正確な境界が知られていなかったので,[23][24]、河川がそれを定義しているものとみなしてよいかどうかという問題もある[4]。研究においては、バルカンの自然境界、特にその北部の境界はしばしば言及を避けられ、Andre Blancは『バルカンの地理(Geography of the Balkans)』(1965年)で「厄介な問題」としている。また、ジョン・ランプ(John Lampe)とマーヴィン・ジャックマン(Marvin Jackman)は『バルカン経済史(Balkan Economic History)』(1971年)において、「現代の地理学者たちは『バルカン半島』という古い考え方を捨て去ることに合意していると思われる」と述べている[4]バルカン山脈の大部分が北部ブルガリアに位置していることからバルカンという名前には別の問題がある。この山脈はディナル・アルプス山脈と異なり、その長さと領域において地域を支配するような地形ではない[23]。最終的な結論としてバルカン半島は「ギリシャ=アルバニア半島(Greek-Albanian Peninsula)」と名付けられ得るであろうバルカン山脈の南側の領域と考えることができるが、しかしギリシャは地理学的にも国際関係においてもバルカンとは別枠で取り扱われることも珍しくない[4][24]。バルカン半島という用語は「東南ヨーロッパ」の意味に影響を与えているが、この用語もまた地理的要因による明確な定義はされておらず、その境界はつまるところバルカンの歴史的な境界である[24]

クロアチアの地理学者とアカデミズムはバルカンの地理学的、社会政治学的、歴史学的文脈の中にクロアチアを包含することについて極めて批判的であり、同時に「西バルカン諸国」という新造語はヨーロッパの政治権力によるクロアチアへの侮辱として認識されている[23]。M. S. Alti?によれば、この「西バルカン諸国」という用語には2つの異なる意味があり、「1つは地理学的意味であって、これは究極的には未だ定義されていない。もう1つは文化的意味であって、これは極めてネガティヴであり、また近年の政治的状況に強い影響を受けている」という[24]クロアチア大統領コリンダ・グラバル=キタロヴィッチは2018年に、「西バルカンという用語は地理的意味だけではなく、ネガティヴな意味合いを含むため使用しない。西バルカンと呼ばれる地域はヨーロッパの一部であり東南ヨーロッパと呼ぶべきことが知覚されねばならない」と声明を出した[55]
自然と天然資源バルカン山脈(Stara Planina)のパノラマ。最高地点は標高2,376メートルのボテフ峰(英語版)。バルカンで最も高い山、リラ山脈(英語版)の方角を見る。標高は2,925メートルに達する。セルビアのゴルバツ要塞(英語版)。バルカンのドナウ川前線を守る。

バルカンの大部分は北西から南東に向けて走る山岳地帯に覆われている。主たる山地はバルカン山脈であり、ブルガリアの黒海沿岸からセルビアの国境線まで伸びる。ロドピ山脈がブルガリア南部と北部ギリシャに、ディナルアルプス山脈ボスニア・ヘルツェゴヴィナクロアチア、そしてモンテネグロに伸びている。シャル山脈(英語版)の山地がアルバニアから北マケドニアにかけて、ピンドス山脈が南アルバニアから中央ギリシャにかけて、プロクレティエ山地(英語版)(アルバニア・アルプス)まで広がっている。バルカンの最も高い山はブルガリアのリラ山脈(英語版)のムサラ山であり、標高は2925メートルである。ギリシャにあるオリンポス山は標高2917メートルで第二位であり、ブルガリアのヴィフレン山(英語版)が標高2914メートルで第3位である。カルスト地形またはポリエはバルカンの山地の景観における一般的な特徴である。

バルカンのアドリア海エーゲ海の沿岸の気候は地中海性であり、黒海沿岸では温暖湿潤気候海洋性気候、内陸部では湿潤大陸性気候となる。バルカン半島の北部と山岳地帯では冬は冷え込み降雪がある。一方で夏は暑く乾燥している。南部の冬は穏やかである。具体的には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、北部クロアチア、ブルガリア、コソヴォ、北マケドニア、北部モンテネグロ、アルバニア内陸部、そしてセルビアは湿潤大陸性気候が優勢であるが、それ以外の地域ではそうではない。温暖湿潤気候と海洋性気候の地域はブルガリアとヨーロッパ・トルコの黒海沿岸で見られる。アルバニア沿岸部とクロアチア沿岸部、ギリシャ、南部モンテネグロ、ヨーロッパ・トルコのエーゲ海沿岸部は地中海性気候である[要説明][要出典]。

数世紀に渡り森林の伐採が進み、植生は低木に切り替わった。バルカン南部と沿岸部では常緑樹の植生がある。内陸部の木々は典型的な中央ヨーロッパのそれ(オークブナ、山地ではトウヒモミ、そしてマツ)である。山地の森林限界線は標高1800メートルから2300メートルにある。バルカンの土地は多くの固有種生息地となっている。また極めて豊富な昆虫と爬虫類の生息地ともなっており、多様な猛禽類と貴重なハゲタカの食糧源となっている。

土壌は一般的に痩せている。天然の草原が広がる平野部は例外で、肥えた土壌と温暖な夏のため耕作に適している。それ以外の土地では、山地、酷暑、土壌の貧困のために農業はほとんど成立しないが、オリーヴブドウなど特定種の生産は栄えている。相当量の石炭亜鉛クロム、そしての鉱床があるコソヴォを例外として、エネルギー資源は乏しい[56]炭鉱は他の地域、特にブルガリア、セルビア、ボスニアにも存在する。亜炭の鉱床はギリシャに広く存在する。ギリシャ、セルビア、アルバニアの石油埋蔵量は少ない。天然ガスのガス田もまた乏しい。水力は広く利用され、1,000以上のダムが存在する。しばしば吹き付けるボーラ(この地域で北、北東から吹く滑降風)も風力発電に活用されている。

その他の資源と比べ金属資源はより豊富である。鉄鉱石は希少であるが、いくつかの国には多量の銅、亜鉛、スズクロム鉄鉱マンガンマグネシウム、そしてボーキサイトが存在する。これらの一部は輸出されている。
歴史と地政学的重要性イレチェク線(英語版)アポロニアの遺跡。アルバニア、フィエル近郊。ローマ時代の宮殿フェリクス・ロムリアーナの遺跡。UNESCO、セルビア。詳細は「バルカンの歴史」を参照
古典古代

バルカン地方は新石器時代の農耕文化がヨーロッパで最初に到来した地方である。バルカンには旧石器時代から人類が居住しており、新石器時代(紀元前7千年紀)の間に中東からヨーロッパへバルカンを経路として農業が伝わった[57][58]。穀物を栽培し家畜を育てる習慣は肥沃な三日月地帯からアナトリアを経てバルカンに伝わり、特にこの半島を通じてさらに西と北へ、中央ヨーロッパへと広がった。スタルチェヴォ文化(英語版)とビンチャ文化(英語版)という、二つの初期の文化的複合体がバルカンで発達した。バルカンはまた、最初の先進的な文明を育んだ場所でもある。ビンチャ文化はシュメール文明とミノア文明以前に原文字の形態を発達させた。これはOld European scriptとして知られている。これに使用されるシンボルの大半は前4500年から前4000年の間に創られたが、タルタリアの粘土板にあるものは前5300年頃まで遡る[59]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:198 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef