バルカン半島
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この神話はゼウスと怪物/巨人のテュポーンとの戦いに関するもので、ゼウスは雷撃によってテュポーンを負傷させ、その血が山の上に落ちたため、血を意味する単語から山の名前がつけられたという[16]
中世後期とオスマン帝国時代

バルカンという地名への言及の最も早い例は14世紀のアラブの地図に見られ、ハイモス山地(英語版)がバルカン(Balkan)という名前で示されている[17]。西欧において「バルカン」という名称でこのブルガリアにある山地を指して使用していることが証明される最初の用例は、1490年にイタリアの人文学者・作家・外交官であるBuonaccorsi Callimacoが教皇インノケンティウス8世へ向けて送った手紙の中にあるものである[18]オスマン帝国による最初の用例は1565年の日付を持つ文書にあるものである[13]。他のテュルク系部族が既にこの半島に居住するか、あるいは通過していたが、バルカンという用語でこの地域をさしたこれよりも古い文書は存在しない[13]。バルカンの名はまた、初期のブルガール人のテュルク語に起源をもつという説も主張され、ブルガリアで人気がある。しかし、これは非学術的な俗説に過ぎない[13]。バルカンという名称はオスマン帝国のルメリアで使用されており、Kod?j?a-Balkan、?atal-Balkan、Ungurus-Balkani?のように山一般を示す意味で使用されていたが、特にハイモス山地を指して使用される場合が多かった[19][20]。この名前は中央アジアにもBalkan Daglary(バルカン山地)[21]、およびトルクメニスタンバルカン州の名称として残存している。イギリス人旅行者ジョン・モリット(英語版)はこの名称を18世紀の終わりにイギリス文学に導入し、またほかの著作家もアドリア海と黒海の間の広い地域を指す名称として使用するようになった。「バルカン」の概念はドイツの地理学者アウグスト・ツォイネ(英語版)によって1808年に創り出された[22]。彼はバルカン山脈アドリア海から黒海まで延びる東南ヨーロッパの中核的山岳地形であると誤って認識していた[23][24][4]。1820年代の間に「イギリスの旅行者の間で、なおハイモスと併用されている状況ではあったものの、バルカンという名称は優先的に使用される地名となった。...古典的な地名に慣れ親しんでいないロシア人旅行者の間ではバルカンは好んで使用された用語であった[25]。」
19世紀と20世紀における概念の進化

バルカンという用語は19世紀半ばまで一般的に地理学的文献では使用されていなかった。これはカール・リッターのような科学者たちが、バルカン山脈より南側だけが半島と考えることが可能であり、これは「ギリシャ半島」と改名されるだろうという注意喚起を行っていたためである。ツォイネに同意しない他の目立った地理学者たちにはヘルマン・ワーグナー(英語版)、テオバルド・フィッシャー(英語版)、マリオン・ニュービアン(英語版)、アルブレヒト・ペンクがおり、同時にオーストリアの外交官ヨハン・ゲオルク・フォン・ハーン(英語版)は1869年にバルカン地域を「Sudostereuropaische Halbinsel(南東ヨーロッパ半島)」という言葉で表した。バルカンという用語が一般的に受け入れられなかった別の理由には、ヨーロッパ・トルコという用語が同一の領域を定義していたことがある。しかし、ベルリン会議(1878年)の後には新たな用語が政治的に必要とされ、徐々にバルカンという用語が定着していった。だが、バルカンの地図上の北境はセルビアとモンテネグロにあり、ギリシャは含まれていなかった(バルカンとはヨーロッパのオスマン帝国支配下にある部分のみを描写するものであった)。また、ユーゴスラヴィアの地図ではクロアチアとボスニアが含まれていた。バルカン半島という用語はヨーロッパ・トルコの同義語であり、その政治的境界はかつてのオスマン帝国の属領のものであった[4][24][26]

バルカンという言葉の使用法は19世紀末から20世紀の始まり頃に変化し、その用法はセルビアの地理学者たち(最も注目されるのはヨヴァン・ツヴィイッチ(英語版))によって受け入れられた[23]。これは南スラヴの領域全てに対する権利を主張するセルビア民族主義を背景とした政治的理由からくるものであった。セルビア民族主義においては南スラヴの人類学的、民族学的研究も通して様々な民族主義的・人種主義的理論が展開された[23]。このような政策とユーゴスラヴィアの地図を通して、バルカンという用語は現代のような地理的領域を説明する用語として確立された[24]。この用語は19世紀後半から第一次世界大戦後のユーゴスラヴィア(1918年当初はセルブ・クロアート・スロヴェーン王国)の建設にいたる政治的変動を受けて[24]、初期の地理的意味合いから遠く離れた政治的・民族主義的意味を獲得した[4]。1991年6月から始まったユーゴスラヴィア崩壊の後、「バルカン」という用語は(特にクロアチアとスロヴェニアにおいて)ネガティブな政治的意味合いを持つようになり、世界的にも武力衝突と領土の断片化を指して自然に使用されるようになった(バルカニゼーションを参照)[23][24]
東南ヨーロッパ 詳細は「東南ヨーロッパ」を参照

「バルカン」という言葉が内包する歴史的・政治的意味合いなどのために[27]、特にバルカンの西半で争われた1990年代のユーゴスラビアの紛争のために、「東南ヨーロッパ」という用語がますます好まれるようになっている[24][28]。1999年のヨーロッパ連合(EU)のイニシアティブは南東欧安定化協定と呼ばれ、オンライン紙『バルカン・タイムズ(Balkan Times)』は2003年に『サウスイースト・ヨーロピアン・タイムス(英語版)(Southeast European Times)』に改名した。
現在

各国の言語でこの地域(半島)は以下のように呼ばれている。

インド・ヨーロッパ語族

スラヴ語派

ブルガリア語: Балкански полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski poluostrov

マケドニア語: Балкански Полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski Poluostrov

セルビア・クロアチア語: Balkansko poluostrvo, Балканско полуострво; Balkanski poluotok, Балкански полуоток

スロベニア語: Balkanski polotok


ロマンス語派

ルーマニア語: Peninsula Balcanic?


その他の語派

アルバニア語: Gadishulli Ballkanik、およびSiujdhesa e Ballkanit

ギリシア語: Βαλκανικ? χερσ?νησο?、ラテン文字翻字:Valkaniki chersonisos



テュルク語族

トルコ語: Balkan Yar?madas?、またはBalkanlar


定義と境界
バルカン半島イゾンツォ川-ヴィパヴァ川(英語版)-クルカ川-サヴァ川-ドナウ川の線を境界として定義づけられたバルカン半島

バルカン半島は西をアドリア海、南を地中海イオニア海エーゲ海を含む)とマルマラ海に、東を黒海によって区切られている。


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