バルカン半島
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19世紀と20世紀における概念の進化

バルカンという用語は19世紀半ばまで一般的に地理学的文献では使用されていなかった。これはカール・リッターのような科学者たちが、バルカン山脈より南側だけが半島と考えることが可能であり、これは「ギリシャ半島」と改名されるだろうという注意喚起を行っていたためである。ツォイネに同意しない他の目立った地理学者たちにはヘルマン・ワーグナー(英語版)、テオバルド・フィッシャー(英語版)、マリオン・ニュービアン(英語版)、アルブレヒト・ペンクがおり、同時にオーストリアの外交官ヨハン・ゲオルク・フォン・ハーン(英語版)は1869年にバルカン地域を「Sudostereuropaische Halbinsel(南東ヨーロッパ半島)」という言葉で表した。バルカンという用語が一般的に受け入れられなかった別の理由には、ヨーロッパ・トルコという用語が同一の領域を定義していたことがある。しかし、ベルリン会議(1878年)の後には新たな用語が政治的に必要とされ、徐々にバルカンという用語が定着していった。だが、バルカンの地図上の北境はセルビアとモンテネグロにあり、ギリシャは含まれていなかった(バルカンとはヨーロッパのオスマン帝国支配下にある部分のみを描写するものであった)。また、ユーゴスラヴィアの地図ではクロアチアとボスニアが含まれていた。バルカン半島という用語はヨーロッパ・トルコの同義語であり、その政治的境界はかつてのオスマン帝国の属領のものであった[4][24][26]

バルカンという言葉の使用法は19世紀末から20世紀の始まり頃に変化し、その用法はセルビアの地理学者たち(最も注目されるのはヨヴァン・ツヴィイッチ(英語版))によって受け入れられた[23]。これは南スラヴの領域全てに対する権利を主張するセルビア民族主義を背景とした政治的理由からくるものであった。セルビア民族主義においては南スラヴの人類学的、民族学的研究も通して様々な民族主義的・人種主義的理論が展開された[23]。このような政策とユーゴスラヴィアの地図を通して、バルカンという用語は現代のような地理的領域を説明する用語として確立された[24]。この用語は19世紀後半から第一次世界大戦後のユーゴスラヴィア(1918年当初はセルブ・クロアート・スロヴェーン王国)の建設にいたる政治的変動を受けて[24]、初期の地理的意味合いから遠く離れた政治的・民族主義的意味を獲得した[4]。1991年6月から始まったユーゴスラヴィア崩壊の後、「バルカン」という用語は(特にクロアチアとスロヴェニアにおいて)ネガティブな政治的意味合いを持つようになり、世界的にも武力衝突と領土の断片化を指して自然に使用されるようになった(バルカニゼーションを参照)[23][24]
東南ヨーロッパ 詳細は「東南ヨーロッパ」を参照

「バルカン」という言葉が内包する歴史的・政治的意味合いなどのために[27]、特にバルカンの西半で争われた1990年代のユーゴスラビアの紛争のために、「東南ヨーロッパ」という用語がますます好まれるようになっている[24][28]。1999年のヨーロッパ連合(EU)のイニシアティブは南東欧安定化協定と呼ばれ、オンライン紙『バルカン・タイムズ(Balkan Times)』は2003年に『サウスイースト・ヨーロピアン・タイムス(英語版)(Southeast European Times)』に改名した。
現在

各国の言語でこの地域(半島)は以下のように呼ばれている。

インド・ヨーロッパ語族

スラヴ語派

ブルガリア語: Балкански полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski poluostrov

マケドニア語: Балкански Полуостров、ラテン文字翻字:Balkanski Poluostrov

セルビア・クロアチア語: Balkansko poluostrvo, Балканско полуострво; Balkanski poluotok, Балкански полуоток

スロベニア語: Balkanski polotok


ロマンス語派

ルーマニア語: Peninsula Balcanic?


その他の語派

アルバニア語: Gadishulli Ballkanik、およびSiujdhesa e Ballkanit

ギリシア語: Βαλκανικ? χερσ?νησο?、ラテン文字翻字:Valkaniki chersonisos



テュルク語族

トルコ語: Balkan Yar?madas?、またはBalkanlar


定義と境界
バルカン半島イゾンツォ川-ヴィパヴァ川(英語版)-クルカ川-サヴァ川-ドナウ川の線を境界として定義づけられたバルカン半島

バルカン半島は西をアドリア海、南を地中海イオニア海エーゲ海を含む)とマルマラ海に、東を黒海によって区切られている。北側の境界は常に論争の種であり、文脈により論者により様々な定義が用いられる[29]。20世紀初頭のセルビア人地理学者・民族学者ヨヴァン・ツヴィイッチ(英語版)はドナウ川サヴァ川を北限とし、ツォイネはバルカン山脈(彼の考えではディナル・アルプス山脈まで続いていた)を北限としていた[29]。現代のハンガリールーマニア、そしてスロベニアをバルカン半島(あるいはバルカン)に含めるかどうかも重要な問題であるが一定の基準は存在しない[29]。バルカンと呼ばれる領域は、多少の違いはあるものの、東南ヨーロッパとして知られる領域とほぼ同じである[30][31][32]

1920年から第二次世界大戦まで、イタリアはイストリアダルマツィアの複数の地域(ザラ、現:ザダルなど)といったバルカン半島の一般的な定義の中に含まれる領域を保有していた。現代のイタリアの領土ではトリエステ近郊の極小さな領域だけがバルカン半島の中にある。しかし、イタリアの地理学者たちは通常バルカンの西の境界をクパ川と定義し、トリエステおよびイストリア地域をバルカンの一部とはみなしていない[33]バルカン半島の最も広く通用している定義では、3辺が海域によって区切られ、残る4番目の辺は線で接続して区切られている。

ドナウ川-サヴァ川を境界とした時の各国の自国領土総面積に対するバルカン半島のシェア(括弧内は比率)。ブルガリアギリシャでほぼバルカン半島の半分の領域を占める。

全領土がバルカン半島内:

アルバニア: 28,749 km2 (100%)

ボスニア・ヘルツェゴビナ: 51,180 km2 (100%)

 ブルガリア : 110,993.6[34][35] km2 (100%) (108,596[36] km2 (100%))

コソボ*[a]: 10,908 km2 (100%)

北マケドニア: 25,710 km2 (100%)


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