バヤズィト1世
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セルビア公ステファン・ラザレヴィチ(英語版)に対しては北セルビアの領有権を認め、ラザレヴィチも貢納と兵力の提供を積極的に行った。このため両国の間には長期の平和がもたらされ、セルビアは経済的な繁栄を享受する[15]
ニコポリスの戦いニコポリスの戦い「ニコポリスの戦い」も参照

こうしたバルカン半島でのオスマン帝国の勢力拡大に対して、バルカン半島の国家だけでなく西欧も不安を覚え、ハンガリージギスムントは教皇庁に十字軍を要請した。ローマ教皇ボニファティウス9世アヴィニョンの教皇ベネディクトゥス13世フランスイングランドサヴォイアなどの西欧諸国に十字軍の結成を呼び掛け、西欧より王族、貴族、騎士が参加を表明した。1396年7月下旬から8月上旬にかけて十字軍はブダに集結、ワラキアの軍隊と共にジギスムント率いるハンガリー軍に合流し、ヴィディンもオスマンへの臣従を破棄して十字軍に参加した。

十字軍はブルガリアに進攻して領内のイスラム教徒、キリスト教徒の双方を殺害し、9月10日にはドアン・ベイ(英語版)が守るニコポリスに迫り、包囲を布いた[16]。コンスタンティノープル包囲の指揮を執っていたバヤズィトはただちに引き返し、自ら軍を率いてニコポリスの救援に向かった。9月24日にバヤズィトはニコポリスに到達、翌25日にオスマン軍と十字軍が衝突した(ニコポリスの戦い)。軍功を求めてジギスムントの忠告を無視して個別に突撃をかけた西欧の騎士たちに対し、バヤズィトは集団戦法によって彼らを撃破した。彼自身も刀を手に取って負傷しながらも勇敢に戦い[17]、戦闘はオスマン軍の完勝に終わった[18]ブルゴーニュの公子ジャン、フランス陸軍元帥ブシコー(英語版)らを捕虜とし、彼らの釈放と引き換えに多額の身代金を得る[19]。戦後ヴィディンを併合してブルガリアの征服を達成し[13]、またワラキアに臣従を誓わせた。

アッバース家カリフ・ムタワッキル1世(英語版)はニコポリスでの勝利を称賛し、バヤズィトにスルタンの称号を授けた。彼以前のオスマン帝国の指導者であるオルハン、ムラト1世も碑文や貨幣でスルタンの称号を用いていたが、後世のオスマン帝国の歴史家はオスマン帝国の君主がスルタンを称した由来を、カリフからの称号授与に結びつけた[20]

ニコポリスの戦いの後にオスマン軍はミトロヴィツァを攻略、さらにギリシャに進み、1397年ラリサパトラアテネを占領しペロポネソス半島の大部分を支配下に置いた[21]1398年にオスマン軍は内乱で分裂状態にあったボスニアに初めて侵入し、これ以降ボスニアはオスマン軍の内政への介入と奴隷狩りに悩まされることになる[22]
更なる拡大、ティムールの出現アナドゥル・ヒサール(英語版)

1397年から2年以上にかけて行った第三次コンスタンティノープル包囲では、コンスタンティノープル内にトルコ人の居住区とモスクを設け、イスラムの法廷と法官(カーディー)を設置することを認めさせる[23][notes 1]1400年にマヌエル2世が西欧諸国に援助を求めに出国するとバヤズィトは4度目の包囲を開始、1402年に至っても包囲は続けられた。バヤズィトはコンスタンティノープル包囲に際してボスポラス海峡のアジア側にアナドゥル・ヒサールを築城し、兵糧攻めに持ち込もうとするが、市域の広いコンスタンティノープルは籠城戦に耐え抜き、攻略に失敗した[24]。後に即位した曾孫のメフメト2世はバヤズィトの包囲を教訓として、短期決戦によってコンスタンティノープルを陥落させる[24]。メフメト2世のコンスタンティノープル攻略においては城塞アナドゥル・ヒサール(英語版)も活用され、城塞に配備された大砲で敵軍を牽制した[25]

バルカン半島での軍事活動と並行して、アナトリア方面の征服活動も依然として続けられていた。ニコポリスの戦勝に遡る1395年にはジャンダル侯国(英語版)(イスフェンディヤール侯国)が治めるアマスィヤカスタモヌを占領、1398年にエルテナ侯国(英語版)の併合を達成する[26]。ニコポリスの戦闘中にアラー・アッディーンがアナトリアのオスマン領を攻撃しており、バヤズィトは戦後アナトリアに渡り、コンヤに進軍した。11日に及ぶ攻城戦の末に1398年にコンヤを攻略、服従を拒んだアラー・アッディーンを処刑し、彼の2人の子をブルサに送り、カラマンを滅亡させる[17]。1400年にエルズィンジャンを攻略、1402年にはオスマン帝国より脱走したヤクブ2世が再建したゲルミヤン侯国を再征服し、アナトリアの大部分を制圧する[27]

しかし、東方に大帝国を打ち立てたティムールがアナトリアに現れると、オスマン帝国を取り巻く情勢は一変する。


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