バブル崩壊
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翌年の1998年度には名目GDPは前年度比約マイナス2%の502兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込み[20]、完全失業率は4.1%に達し、これ以降日本は本格的なデフレーションへ突入し、「失われた10年」を経験することになる。1999年度には、1997年度と比べ所得税法人税の合計額が6兆5000億円もの減収となり[21]、失業者数は300万人を超えた。さらに1997年には日本銀行法が改正され、内閣が日本銀行総裁の解任権を失うことになった。

日本の名目GDPなどの動向 1994-1999[22]年度名目GDP
(兆円)名目経済成長率
(%)失業者数
(万人)労働力人口
(万人)失業率
(%)
1994486.52631.1919266452.88
1995493.27171.3821066663.15
1996502.60891.8922567113.35
1997512.24891.9123067873.38
1998502.9728-1.8127967934.10
1999495.2269-1.5431767794.67

金融システム危機「第136回国会」および「第143回国会」も参照

金融行政においては護送船団方式が焦点となった[17]

以下は破綻した銀行・証券の例である[23][24][25][26][注釈 2]

1995年8月 - 兵庫銀行

1996年

住宅金融専門会社

3月 - 太平洋銀行

11月21日 - 阪和銀行


1997年

10月14日 - 京都共栄銀行

11月3日 - 三洋証券

11月17日 - 北海道拓殖銀行

11月24日 - 山一證券

11月26日 - 徳陽シティ銀行


1998年

5月15日 - みどり銀行

5月22日 - 福徳銀行

5月22日 - なにわ銀行

10月23日 - 日本長期信用銀行

12月13日 - 日本債券信用銀行


1999年

4月11日 - 国民銀行

5月22日 - 幸福銀行

6月12日 - 東京相和銀行

8月7日 - なみはや銀行

10月2日 - 新潟中央銀行


2000年8月6日 - 石川銀行

2002年3月8日 - 中部銀行

2003年9月 - 足利銀行

これらを含めて1991年以降2003年度までで181行の銀行が倒産し、1992-2002年度まで預金保険機構が救済金融機関に援助した資金の総額は25兆円となった[18]
2000年代・失われた20年
聖域なき構造改革

小泉政権下で銀行の不良債権処理が完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、2007年7月9日の18,261円98銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった[27]
世界金融危機

2008年には、北アメリカサブプライムローン問題をきっかけとする世界金融危機 (2007年-2010年)により、景気が急激に悪化した。2008年9月のリーマン・ショック以降は世界経済が冷え込み、皮肉にも小泉改革の負の側面が一気に噴出して国内総生産(GDP)がマイナス成長となった。

2009年以降3年間の民主党政権の時期は、事業仕分け (行政刷新会議)による1兆円弱の財政の精査や、介護ビジネスの規制緩和、米国の量的金融緩和政策に伴うドル安などで、ドルベースの国内総生産で成長率5%を回復する期間もあった。リーマン・ショックや2010年欧州ソブリン危機により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がり、円ドルレートは1ドル100円を切る円高に推移した。
2010年代・失われた30年


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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