日本の名目GDPなどの動向 1994-1999[22]年度名目GDP
(兆円)名目経済成長率
(%)失業者数
(万人)労働力人口
(万人)失業率
(%)
1994486.52631.1919266452.88
1995493.27171.3821066663.15
1996502.60891.8922567113.35
1997512.24891.9123067873.38
1998502.9728-1.8127967934.10
1999495.2269-1.5431767794.67
金融システム危機「第136回国会」および「第143回国会」も参照
以下は破綻した銀行・証券の例である[23][24][25][26][注釈 2]。
1995年8月 - 兵庫銀行
1996年
住宅金融専門会社
3月 - 太平洋銀行
11月21日 - 阪和銀行
1997年
10月14日 - 京都共栄銀行
11月3日 - 三洋証券
11月17日 - 北海道拓殖銀行
11月24日 - 山一證券
11月26日 - 徳陽シティ銀行
1998年
5月15日 - みどり銀行
5月22日 - 福徳銀行
5月22日 - なにわ銀行
10月23日 - 日本長期信用銀行
12月13日 - 日本債券信用銀行
1999年
4月11日 - 国民銀行
5月22日 - 幸福銀行
6月12日 - 東京相和銀行
8月7日 - なみはや銀行
10月2日 - 新潟中央銀行
2000年8月6日 - 石川銀行
2002年3月8日 - 中部銀行
2003年9月 - 足利銀行
これらを含めて1991年以降2003年度までで181行の銀行が倒産し、1992-2002年度まで預金保険機構が救済金融機関に援助した資金の総額は25兆円となった[18]。 小泉政権下で銀行の不良債権処理が完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、2007年7月9日の18,261円98銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった[27]。 2008年には、北アメリカのサブプライムローン問題をきっかけとする世界金融危機 (2007年-2010年)により、景気が急激に悪化した。2008年9月のリーマン・ショック以降は世界経済が冷え込み、皮肉にも小泉改革の負の側面が一気に噴出して国内総生産(GDP)がマイナス成長となった。 2009年以降3年間の民主党政権の時期は、事業仕分け (行政刷新会議)による1兆円弱の財政の精査や、介護ビジネスの規制緩和、米国の量的金融緩和政策に伴うドル安などで、ドルベースの国内総生産で成長率5%を回復する期間もあった。リーマン・ショックや2010年欧州ソブリン危機により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がり、円ドルレートは1ドル100円を切る円高に推移した。 世界同時不況へ陥る前後の2006年から2010年ごろには「失われた15年」という表現が登場した[28][29][30]。 2009年に『失われた〈20年〉』(朝日新聞「変転経済」取材班、岩波書店)が出版される[31][32]。2009年当時、第一生命経済研究所の熊野英生は「バブル崩壊後の90年代を『失われた10年』と呼ぶが、2000年以降の約10年がもうひとつの『失われた10年』になってしまっている」と、日本経済の先行きに警鐘を鳴らしていた[33]。その3年後の2012年3月に、一橋大学経済研究所の深尾京司による『「失われた20年」と日本経済』が日本経済新聞社から刊行されている。日本経済新聞のフェロー芹川洋一は、2018年の自著で「『失われた10年』は結局、20年になってしまった。小泉政権のころはまだ10年だった。その原因はなにか。バブル経済の不良債権の処理が遅れていたためだ。」と述べ[34]、官製不況であるとして批判している。 2010年代に入るとさらに「失われた30年」が予測されるようになった[2]。日本経済団体連合会のシンクタンク「21世紀政策研究所」は2012年4月、「『失われた20年』の状況がこのまま続いた場合、日本は2050年ごろに、先進国でなくなる」とする予測結果をまとめた[35]。 2010年には世帯所得が1987年(昭和62年)並に低下した[36]。帝国データバンクによると、2010年の日本全体の企業の売上高は2000年に比べて3.9%減少しており、減少額は13兆8482億円となっている[37]。2011年には、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれによる福島第一原子力発電所事故、米国債ショックなどが起こり、経済に少なからず影響を与え、一時的に急激な株安・円高となった。 貿易収支では貿易赤字が慢性化し、かつての輸出大国の影はないのが実情である[38]。 加えて、世界における日本の通貨すなわち円 (通貨)の立ち位置も変わり、2015年8月の通貨別決済シェアでは人民元が2.79%と、日本円の2.76%を逆転し、ドル、ユーロ、ポンド (通貨)に次ぐ「第4の国際通貨」の座を奪われた[39]。
2000年代・失われた20年
聖域なき構造改革
世界金融危機
2010年代・失われた30年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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