インド・バクトリアの諸国は、現任のサトラップが統治を続投した。続投といえども、やはり史料による違いは生じている。尚、クルティウス・ルフス史料やアリアノス史料には、この地域に関する具体的な記述は残存していない。
役職/史料ディオドロスユスティヌスデクシッポス
インダス[6]ポロスポロス
パンジャーブ[7]タクシレスタクシレスタクシレス
インド植民地[8]ペイトンペイトンペイトン
コーカサス一帯[9]オクシュアルテスオクシュアルテスオクシュアルテス
アラコシアシビュルティオスシビュルティオスシビュルティオス
ゲドロシアシビュルティオスシビュルティオスシビュルティオス
アレイアスタサノルスタサノルスタサノル
ドランギアナスタサノルスタサノルスタサノル
ソグディアナピリッポススタサノルピリッポス
バクトリアピリッポスアミュンタス
パルティアプラタペルネスピリッポス
ヒュルカニアプラタペルネスプラタペルネスラダペルネス[10]
ペルシスペウケスタスペウケスタスペウケスタス
カルマニアトレポレモストレポレモスネオプトレモス
バビロニアアルコンアルコンセレウコス
メソポタミアアルケシラオスアルケシラオスアルケシラオス
上記の決定はペルディッカス死後の紀元前321年に開催されたトリパラディソスの軍会において修正されたうえで引き継がれた。
脚注^ a b 合阪學訳に従う。
^ ユリアヌス史料では、クラテロスは国庫管理を担当。
デクシッポス史料ではクラテロスは The general charge of affairs and the defence of the kingdom を担当している。
^ アリアノス史料及びデクシッポス史料では、具体的にリビアと記されている。
^ ヘレスポントス・フリュギア(Hellespontine Phyrgia)とも書く。(ヘレスポントスに隣接するプリュギアの意)
^ アリアノス史料ではカッサンドロスである。
^ デクシッポス史料に拠るとヒュダスペス川=インダス川間の一帯である。
^ ユスティヌス史料に拠るとヒュダスペス川=インダス川間のサティ族を獲得した。デクシッポス史料ではポロス領の残部を獲得したことになっている。
^ ディオドロス史料に拠るとタキレウスら現地諸王の隣接地域だというが、いずれの史料にも具体的な位置は明言されていない。
^ ディオドロスに拠ればパラパニサダイと呼ばれる地域。
^ スペルは「Rhadaphernes」である。「Phrataphernes」の誤記か。
参考文献
ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』 合阪學 訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年
クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』 谷栄一郎・上村健二訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2003年
ディオドロス『アレクサンドロス大王の歴史』 森谷公俊 訳註、河出書房新社、2023年。完訳版
Diodurus Siculus, The Library of History, XVIII~XIX.(Loeb Classical Library No.423 ,translated by Russel M.Geer, Cambridge, Mass)
アリアノスやデクシッポスについては右のURLに基づいた。 ⇒[1]
関連項目
ディアドコイ戦争
トリパラディソスの軍会