バビロニア戦争
[Wikipedia|▼Menu]
この協定で、セレウコスはインド付近の領土(アレイア、アラコシア、ゲドロシア、パロパミソス)を割譲し、セレウコスの娘をチャンドラグプタの息子ビンドゥサーラ(ギリシア人の記述ではアミトロカテスと呼ばれた)に嫁入りさせる代わりに、500頭もの戦象を獲得し、戦力を充実させた[7]。この戦力は後のイプソスの戦いで大きな役割を果たすことになる。一方、東地中海での戦いを優位に進めていたアンティゴノスだったが、その勢力の拡大を恐れた他のディアドコイは反アンティゴノス同盟を結ぶことで一致し、東方から帰還したセレウコスは、その中核を担うことになった。

結果的に、このバビロニア戦争でアンティゴノスがセレウコスを駆逐できなかったことが、紀元前301年のイプソスの戦いでのアンティゴノスの大敗に繋がり、アレクサンドロス帝国の分裂を決定的とすることになったのである。
^ ディオドロス, XIX. 90
^ ディオドロス, XIX. 91
^ アッピアノス, 『ローマ史』, 「シリア戦争」, 55
^ ディオドロス, XIX. 92
^ ディオドロス, XIX. 100
^ ポリュアイノス, 4. 9. 1
^ ストラボン, 15. 2. 9

参考文献およびサイト

アッピアノスの『ローマ史』の「シリア戦争」の英訳

ストラボン ギリシア・ローマ世界地誌II』飯尾都人訳、龍溪書舎、1994年

田中穂積、「バビロニアとヘレニズム(二)―「ディアドコイ年代記」―」、1998年、『人文論究 47』(4)(関西学院大学)所収

ディオドロスの『歴史叢書』の英訳

ポリュアイノス『戦術書』戸部順一訳、国文社 叢書アレクサンドリア図書館、1999年


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef