バハマ国(バハマこく、(英語: Commonwealth of The Bahamas) 通称バハマは、西インド諸島のバハマ諸島を領有する国家。英語圏に属し、イギリス連邦の加盟国であると同時に英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。
島国であり、海を隔てて北西にアメリカ合衆国のフロリダ半島が、南西にキューバが、南東にハイチが存在する。首都はニュー・プロビデンス島のナッソー。バハマ文書が注目を浴びている。人口は40万516人(2022年時点)[3]。 正式名称はCommonwealth of The Bahamas (英語: コムンウェルス・オブ・ザ・バハーマズ)、通称はThe Bahamas [b??h??m?z] ( 音声ファイル
国名
バハマは、スペイン語のBaja mar (バハマール。水位の下がった海、引き潮)から転じたという説が有力。また、英語の Commonwealth は多義語であるが、バハマの国名の場合は、「イギリス連邦を構成する国」という意味合いで使われており、共和国や連邦といった意味はもたない。
歴史詳細は「バハマの歴史」を参照
先住民のアラワク族が定住していた土地に、1492年10月12日、イタリア人クリストファー・コロンブスが到達。上陸した島がサン・サルバドル島(サマナ島(英語版)と言う島だと言う説もある)と名づけられた。これがコロンブスによる新大陸の発見となる。
コロンブスの開いたスペインからバハマのルートを通って、多くのヨーロッパ人がやって来ると、島に居た先住民のインディオは強制労働やヨーロッパ人が持ち込んだ疫病などで死に絶えてしまった。16世紀には絶滅してしまったインディオの代わりにアフリカから初めて、奴隷として多くの黒人がバハマ諸島に連れて来られた。
年表
1647年にイギリスが植民地化を開始する。
1718年にイギリスは、「黒髭」と呼ばれたエドワード・ティーチ (Edward Teach) をはじめとする海賊たちの拠点だったバハマに対し、ウッズ・ロジャーズ (Woodes Rogers) を初代総督(Royal Governor of the Bahamas) に任じ掃討を命じた。
1776年に、アメリカ独立戦争から逃れようとしたイギリス王党派が、多くの黒人奴隷を引き連れて移り住む。
1782年から83年にかけて、スペインに占領される。しかし、領有権を取り戻したイギリスは、その年に奴隷を解放。
1783年、ヴェルサイユ条約において正式にイギリス領と認められる。
1920年から1933年までは、アメリカで禁酒法が制定され、これにより、バハマは酒などの密輸の一大中心地となった。
1940年から1945年まで、ウィンザー公(元イギリス国王エドワード8世)がバハマ総督を務める。
1945年以後、反植民地運動が起こった。
1964年1月7日、自治権獲得。
1969年、"Commonwealth of the Bahama Islands" に改称。
1973年7月10日、独立。国名を "Commonwealth of The Bahamas" とする。英連邦王国の一国として独立した。
1976年に商船用に便宜置籍国の国旗を設置。
1983年、バハマ政府が関与した麻薬密輸のスキャンダルが発覚。
1981-1986年、バンク・ロイのバハマ支店をドレクセル・バーナム・ランバートのデニス・レヴィーンがインサイダー取引に利用。
1987年、総選挙でも麻薬密売に関するスキャンダルを乗り越え与党が大勝した。
1992年、英領時代から25年以上続いた進歩自由党のリンデン・ピンドリング(英語版)政権が自由国民運動(英語版)のヒューバート・イングラハム政権に交代。以降は両党による政権交代を繰り返している。
政治詳細は「バハマの政治(英語版)」を参照
内政「バハマの政党(英語版)」も参照国会議事堂
イギリスの国王を君主とし、総督をその代理人とする、立憲君主制。首相は、与党の党首が総督によって任命される、議院内閣制である。
議会は、両院制(二院制)。民選議員で構成される下院(38議席)と、首相と野党党首の推薦により総督が任命する議員で構成される上院(16議席)から成る。両院とも任期は5年[4]。2021年9月の総選挙による下院の議席配分は、進歩自由党 (PLP) が32議席、自由国民運動 (FNM) が7議席で、与野党が逆転した。
国際関係詳細は「バハマの国際関係(英語版)」を参照
日本との関係詳細は「日本とバハマの関係」を参照