バナナマン
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音楽ユニット「T-STYLE」では、DJ ティタラ(SHITA)[3]
略歴

1993年10月、2人の共通の知人に誘われ、4人組のお笑いグループを結成[4]。そこで設楽と日村は初めて会った。しかし、4人組での活動を前提として話や稽古を進めていくうちに、設楽は「このグループじゃダメなんじゃないか?」と違和感を抱くようになったといい、日村だけを誘ってグループを脱退し、コンビを結成[4]

1994年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビューし、春にコンビ名を「バナナマン」に改名。翌年の1995年秋にOFF・OFFシアターで初単独ライブ『処女』を開催。コンビ名の由来はアメリカでの日本人の蔑称「バナナ」(外見は黄色い『黄色人種』だが、一皮剥けば白色の『白人』のごとく振る舞う日本人)を聴き覚えていた設楽の提案で「バナナマン」とした。バナナマンの「マン」はスネークマンショーが由来。

1999年、ラフォーレミュージアム原宿でYOUとのユニットライブ「FULL CHAMPION STYLES」を開催。

2000年、ラーメンズとユニットライブ「genico」を開催。同年12月よりスタートした『宝島の地図』(BSフジ)の全シリーズに出演。

2003年、長年出演してた『赤坂お笑いD・O・J・O』(TBSラジオ)にて、最終回間際に3代目免許皆伝を獲得[5]。『内村プロデュース』(テレビ朝日)の若手芸人との対決コーナーにおぎやはぎ劇団ひとりと共に若手の一員として出演し、以降番組に不定期に出演。

2005年、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)の企画「コンビ解散ドッキリ」に出演[6]

2007年元日に放送の第20回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)で、日村はカンニング竹山と共に初優勝する。同年1月31日にで放送された特番『激突グルメ芸人料理王決定戦2007ウマイド美食祭り!』(TBSテレビ)で、設楽が初代料理王になる。同年3月18日放送の『ウルダン』(中京テレビ)で3代目チャンピオンになる。

同年3月18日、設楽の自宅が火事になる。当日は『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(TBSテレビ)の収録日だったため、火災直後に参加し、初のゲームクリア及び100万円獲得を達成した。日村は賞金を修繕費として設楽に全て渡したという。

2008年10月、『キングオブコント』の第1回大会にて決勝に進出。Bリーグ内で500点満点中482点という圧倒的な高得点を記録[注 1]して最終決戦に進出するも、決選投票でバッファロー吾郎に2対5で敗れて準優勝となる。

2009年8月、バナナの地位向上に貢献から日本バナナ輸入組合主催の第4回「勝手にバナナ大賞」を受賞し、2010年も受賞して殿堂入りした[2]

2010年12月18日、『ザ・イロモネア』で2回目の100万円獲得。

2011年3月25日、『ザ・イロモネア』でコンビ最多タイとなる3回目の100万円獲得。前回出場時にも100万円を獲得したため、2連覇となった。因みに設楽が『ザ・イロモネア』の企画「ピンモネア」でも100万円を獲得しているため、番組最多記録となる4冠を達成。同年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援として、賞金を全額寄付した。収録は震災前だったが、震災の影響もあり放送日が延期となり、番組終了後に2人が画面から「獲得した賞金は被災地支援に寄付する」といった内容を報告した。

2011年10月、テレビ東京系列『乃木坂って、どこ?』の司会を担当。

2012年、設楽は『ノンストップ!』(フジテレビ)の司会を担当。また、放送作家オークラが脚本を務める日村主演のドラマ『イロドリヒムラ』の第10話(最終回)を監督した[7]

2013年3月29日 - 31日、コンビ結成20周年を記念して、結成10周年の東京03とユニット「handmade works」を結成し、コントライブ『handmade works live』を俳優座劇場で開催[8]

2014年12月、『第65回NHK紅白歌合戦』(NHK)で、宣伝部員と「紅白ウラトークチャンネル[注 2]」内の司会を担当[9][10]

2015年4月、『乃木坂って、どこ?』のリニューアル番組であるテレビ東京系列『乃木坂工事中』の司会を担当。

同年、『キングオブコント』の審査方式の変更に伴い、審査員にコンビで就任。2020年までの6年間、審査を務めた。

同年11月、前年に引き続き『第66回NHK紅白歌合戦』(NHK)の宣伝部員を担当することが発表された[11]

2016年2月13日、2人が扮した音楽ユニット「T-STYLE(ティースタイル)」のシングル「T-BACK」をiTunesで配信[3]。12月に『THE GOLD RUSH』の司会を担当。

2017年12月31日、紅白歌合戦にて2014年から4年連続で「紅白ウラトークチャンネル」の司会を担当。

2021年12月17日、過去の単独ライブ20作品が12月25日よりNetflixで独占配信されることが発表された[12]。タイトルは『bananaman live』で、Netflixでのコントライブ作品の配信は芸人単独では初となる。1999年から2019年までの単独ライブを3つのシーズンに分けて配信し、第1弾は2013?2019年の7作品を12月25日、第2弾は2006?2012年の7作品を2022年1月25日、第3弾は1999?2005年の6作品を同年2月25日から配信された[13][注 3]

2022年1月16日、同年7月8日に開幕する舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の応援大使に就任することが発表された[14]

同年6月24日、ラジオ番組『バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)にて、同年8月4日 - 7日に『bananaman live 2022 H』を開催することが発表された[15]。単独ライブでは2019年8月に開催された『bananaman live S』以来約3年ぶりとなった。また8月6日の19時開演回では、バナナマン初となる生配信が行われる[16]

バナナマンの二人が演じるコント『赤えんぴつ』が2024年2月9日(金)に日本武道館LIVEを開催した[1][17]
芸風

舞台コントを原点と考えており、テレビに数多く出演するようになった現在でもなお毎年夏に行う単独ライブは恒例となっている。ボケ・ツッコミがはっきりしていない演劇のようなコントが特徴。結成当初からどちらがボケ・ツッコミなのかはこれといって決めていない。基本的に本来は設楽がボケ、日村がツッコミとしているがバラエティ番組への露出が多くなって以降は日村のキャラクターによるものなのか、日村がボケで設楽がツッコミというスタイルがほぼ定着してしまっているため、現在ではもっぱら後者のスタイルで活動することが多い。このため、本来は互いにボケもツッコミもできるコンビとなる。ライブでは10分から30分超のコントを常に主に行うが、放送時間の制約もあってあまりネタの時間が取れないテレビでは、4?5分ほどのコント[注 4]や、オリジナルのショートコント、日村の合いの手で進行する単発ネタを披露する場合が多い。

「即興コントの達人」[18]と呼ばれるなどミニコントとも呼ばれる即興コントを得意とする。

結成当初は日村が「芸歴も年齢も自分が上だから」とネタ作りを引き受けたが、設楽は日村の書いたネタをあまり面白いとは感じなかったため自然と設楽も書くようになった。結成して1か月も経つと日村はネタ作りを完全に設楽へ任せるようになった[19]。しかしコントライブなどでは、第3のバナナマンとの呼び声高い作家・オークラも脚本に入り設楽と2人でネタを書くこともある。
単独ライブ

単独ライブではコントの他に様々な芸風のネタを披露している。
スライドボーイズ
1995年11月に行われたOFF・OFFシアターのライブで誕生した[20]コントのキャラクター設定で、「古くさい邦楽を歌う」というコンセプトを元につくられた。単独ライブで演じられた回数は少ないが、スライドボーイズ名義で「東京ひとりぼっち」をシングルCDで発売している。
赤えんぴつ
多くのライブで披露されているフォークデュオ 設楽演じるオーちゃんと日村演じるヒートンのコンビで、ヒートンの語りから始まり後に倫理的観念に脅迫的な思想を持ったオーちゃんが暴走して喧嘩に発展し最終的にヒートンが泣かされ、『僕がいけないんです?』と切り出し2人とも仲直りするのがお約束となっている。


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