タランツハウスでの小競り合いでは勝利し、1781年3月のギルフォード郡庁舎の戦いに参加した後、タールトンはコーンウォリスとともにバージニアに移動した。バージニアでのタールトンは小さな遠征を繰り返した。この遠征の中でも、当時のバージニア知事トーマス・ジェファーソンと議会議員を捕獲するために行った、シャーロッツビルの襲撃が特筆される。襲撃を知ったジャック・ジューエットが夜通し40マイル(64km)を駆けてジェファーソンと議員達に通報し、襲撃の一部は失敗した。議員7人の他はすべて逃げられたが、タールトンは武器や弾薬を破壊し、議会を蹴散らすという目的は果たした。他にも1781年7月にフランシスコの戦いがあった。これはピーター・フランシスコとタールトンの竜騎兵9騎との小競り合いであり、竜騎兵の1名が戦死、8名が負傷し、馬8頭が捕獲された。他にも任務をこなした後、コーンウォリスがタールトンにグロースター・ポイントを確保するよう指示を出した。しかし、この場所は1781年10月にヨークタウンとともに大陸軍に降伏した。タールトンは釈放されてイギリスに戻った。
ヨークタウンの降伏後、イギリス軍の指揮を執っていた士官全員が大陸軍の士官から食事に招待された。ただし一人を除いて。その一人とはバナスター・タールトンであった。 1784年、タールトンは英国議会にリヴァプールの代表として立候補したが、接戦後に落選した。1790年、リチャード・ペナンの後を受けてリヴァプール選出庶民院議員に当選し、その後は1年間の空白を除いて1812年まで議員を務めた。タールトンはチャールズ・ジェイムズ・フォックス(en:Charles James Fox
政治家としての経歴
1794年、タールトンは少将に昇進し、1801年には中将、1812年には大将に任じられた。半島戦争ではイギリス軍総司令官に指名されることを期待したが、その役目はアーサー・ウェルズリーに渡された。彼はアイルランドやイングランドの各地で軍指揮官となった。1815年、タールトンは準男爵に叙せられ、1820年にはバス勲位を授与された。 タールトンは1798年以降第4代アンカスター公爵の非嫡出の娘と結婚していたが、子供は無く、1833年にシュロップシャー州のリントワーディンで死んだ。ある期間、女優のメアリー・ロビンソン(en:Mary Robinson (poet)
余生
タールトンの肖像画はジョシュア・レノルズとトマス・ゲインズバラによって描かれている。
バナスター卿(タールトン)は、「北アメリカ南部での1780年から1781年に至る作戦」(Campaigns of 1780 and 1781 in the Southern Provinces of North America (London, 1781))という書物を著した。この中で、カロライナにおける彼の行動を肯定的に描き、コーンウォリスの決断に疑問を呈している。これはロデリック・マッケンジー大佐の著書「タールトン中佐の批評」(Strictures on Lieutenant-Colonel Tarleton's History (1781))とコーンウォリスの手紙で批判されている。
タールトンは1833年1月、シュロップシャーのレイントワーディンで死んだ。[5]。 2005年11月、タールトンが1779年と1780年にアメリカ大陸軍から捕獲した軍旗が4つ、イギリス国内に保存されており、2006年にニューヨークのサザビーズで競売に付されるとの報道があった。このうち2つは、1779年に捕獲された第2大陸軽竜騎兵隊の部隊旗であり、他の2つは明らかにワックスホーの虐殺で捕獲された師団旗である。これらの軍旗はアメリカ独立記念日(2006年7月14日)の競売で落札された。 ジョン・ペンドルトン・ケネディによる1835年の小説『ホースシュー・ロビンソン』の中で、アメリカ独立戦争の南部戦線を背景にした歴史物語を書いており、タールトンが現れて架空の登場人物と付き合う。タールトンは力強く幾分は強引な戦闘好きの性格で描かれており、騎兵隊の任務と名誉を重んじている。 タールトンはバーナード・コーンウェルの小説『イーグルを奪え』(原題 en:Sharpe's Eagle 1985年の映画 Sweet Liberty(邦題『くたばれ!ハリウッド』)では、タールトンの役を俳優マイケル・ケインが演じ、情熱的で熱血的英雄として歴史学教授のマイケル・バージェス(俳優はアラン・アルダ)を当惑させる。 アメリカ独立戦争を描いた2000年の映画『パトリオット』の中でジェイソン・アイザックス演じるウィリアム・ダビントン大佐は、捕虜や無辜の市民を虐殺した残酷で加虐的な指揮官としてタールトンを元に作られている。劇中ダビントン大佐は村人を教会に閉じ込めて火を放ったとされており、悪名高い第二次世界大戦のナチ戦犯に匹敵する残虐行為としている[6][7]。
2006年捕獲されたアメリカ軍旗が競売に付された
大衆文化の中で