ファンや批評家を含めて、大勢がこれらの説を巡って議論を続けている。作画者のボランドは敢えて正しい解釈を示していないが[† 5]、原作のムーアは2人に「一瞬正気が訪れた[† 6]」という言葉を使って説明している[10]。 本作はバットマンとジョーカーの関係性を掘り下げることで、二人が心理学的に互いの鏡像だというムーアの信条を提示している[11]。ストーリー中ではジョーカーとバットマンがそれぞれ人生を変える悲劇にどのように対処したか、そしてそれが現在の2人の生き方と対立関係にどうつながっているかが描かれている。評論家ジェフ・クロックはさらにこう説明した。「バットマンとジョーカーはどちらも、偶然の悲劇的な「最悪の1日」の産物である。バットマンが偶然の悲劇から意味を生み出すために一生を捧げているのに対し、ジョーカーは人生における不条理とあらゆる偶然の不正義を体現する」[12]ジョーカーがゴードン本部長に苦痛を課すのは、どんな正常人でも自分の立場に置かれれば正気を失うのか、それとも狂人となる人間は初めから心の中にその種子を抱えていたのかを確かめるためである[13]。しかしジョーカーとは異なり、ゴードンは試練を乗り越えて正気と道徳的規範を保つ。 本作はまた、バットマンの暗い一面を掘り起こしてモダン・エイジ
テーマと分析
この物語のジョーカーは信頼できない語り手である。ジョーカー自身も過去について確信がなく、複数の相反する記憶を持っていると発言している(「思い出すたびに、ああだったり、こうだったり … 過去がなきゃいけないっていうなら、好きなやつを選ばせてもらうぜ!」)。これにより本作が「非情な都市暴力と道徳的虚無主義に呑まれていく世界」を描いていることが強調されている[16]。 1989年アイズナー賞では本作が最優秀グラフィックアルバム部門を、作者アラン・ムーアも最優秀作家賞を受賞した。ヒラリー・ゴールドスタインはIGNコミックスで『キリングジョーク』を称賛して「間違いなくジョーカー史上最高傑作」と呼び、「ムーアのリズミカルな会話文とボランドの有機的なアートは唯一無二の作品を生み出している。真似る者は多いが、追い付く者はいない」と評した[13]。IGNはバットマンを主役としたグラフィックノベルのランキングで本作を『ダークナイト・リターンズ』と『イヤーワン』に次ぐ第3位に挙げた[17]。ジェームズ・ドネリーはポップ・シンジケートで本作を「とにかく20世紀最高のコミックの1つ」と呼んだ[18]。ヴァン・ジェンセンはComicMixへの寄稿で「[本作を再読すると]いつも、アラン・ムーアとブライアン・ボランドのコンビがページに込めた激しさ、残忍さ、人間性に改めて感嘆する」と書いた[19]。コミック史家ロバート・グリーンバーガー
社会的評価
批評家の反応
セブ・パトリックはデン・オブ・ギークで本作にやや厳しい評価を下した。「これまでに書かれた「バットマン」の中でも特に礼賛されている影響力が強い作品であり、ジョーカーの物語の白眉といえる」と評する一方で、『ウォッチメン』『Vフォー・ヴェンデッタ』『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』のような真に優れたムーア作品の域には達していないという[22]。 アラン・ムーアは後になって、本作をはじめとする自作がスーパーヒーロー・コミックに陰鬱な作風を流行させたことを後悔するようになった。
作者の反応