本作は単号完結の作品だったが、そこで起きた出来事はコミックブックシリーズ本編のストーリーラインに取り入れられた。DCコミックスは本作で障害を負ったバーバラ・ゴードン(バットガール)をワンショット『バットガール・スペシャル』第1号(1988年7月)で正式に引退させた後に[32]、車椅子のコンピュータ・ハッカーとして『スーサイド・スクワッド』誌に再登場させ、オラクルという新しい名で活動を始めさせた。「キリングジョーク」事件は、直後に正シリーズで展開された「デス・イン・ザ・ファミリー
(英語版)」でジョーカーが当時のロビンを殺した件とともに、「犯罪界の道化王子」に対するバットマンの意識を個人的な執着のレベルにまで高めた。バットガールの名は後にカサンドラ・カイン[33]へ、さらにステファニー・ブラウンへと受け継がれた[34]。DCコミックスは2011年にThe New 52
(英語版)の名の下で作中世界の設定再編を行った。このとき既存のバットマン物語は多くが歴史から消されたり変更を受けたりしたが、「キリングジョーク」事件はそのまま残された。新しいコンティニュイティ(正史)では、バーバラ・ゴードンは銃撃の数年後には麻痺から回復し、バットガールとしての活動を再開するが[39]、再度の脊髄損傷につながりうる銃撃に出合ってPTSDを起こす[40]。バーバラは初代のバットガールであり、ほかのバットガールはまだ存在していないことになった[41]。2015年3月、DCコミックスはジョーカーの誕生75周年を記念して、6月発売の月刊シリーズでジョーカーをテーマとしたバリアントカバーを出すことをアナウンスし、25枚の表紙絵を公開した。その中にはラファエル・アルバカーキ(英語版)が『キリングジョーク』からインスピレーションを受けて描いた『バットガール』第41号の表紙があった。そこには、顔に笑った口の落書きをされて恐怖の涙を流すバットガールと、その頬を指でつつきながら銃を持った手で肩を抱くジョーカーが描かれていた。当時の『バットガール』誌が若者らしさと楽天性を打ち出していたこともあり、バーバラ・ゴードンの暗い過去にスポットを当てた表紙絵はすぐに批判を集めた。TwitterやTumblrでは、#changethecover(カバー変えろ)というハッシュタグの下で問題のバリアントカバーを印刷しないようDC社に要求する投稿が連続した。DCは最終的にアルバカーキからの求めに応じてカバーを撤回した。アルバカーキはこう語っている。「自分の絵で誰かを傷つけたり怒らせたりする意図はまったくなかった。… だから、DCにあのバリアントカバーを引っ込めるように勧めた」[42]
他のメディアへの影響とメディア展開
実写映画
ティム・バートンは自身が映画化したバットマン、特にジョーカーのオリジンに『ダークナイト・リターンズ』と並んで『キリングジョーク』が影響を与えたと述べている。バートンは以下のように語っている。「私はコミックブックの大ファンだったことはないが、バットマンとジョーカーのイメージはずっと大好きだった。コミックファンにならなかった理由は、子供の頃からコマをどの順で読めばいいかわからなかったからだ。ディスレクシアみたいなものかもしれない。『キリングジョーク』が大好きになったのはそのせいだ。どう読んだらいいか初めて分かったんだ。一番のお気に入りで、初めて好きになったコミックだ。こういうグラフィックノベルが成功を収めていたおかげで、私たちのアイディアも受け入れられやすかった」[43]