バットマン:_キリングジョーク
[Wikipedia|▼Menu]
出てきた名前がアラン、バットマン、ジョーカーだったんだ」[3]「『ウォッチメン』が完結するころには、アランとDCの関係はかなり悪化していた。… 考えてみると、DCに留まって『キリングジョーク』を書いてくれたのは私への好意でしかない」[3] ボランドのオファーを受けたムーアは、「バットマン/ジョーカー作品の真骨頂」を書こうと試みた[4]

バットマンシリーズではそれ以前にもジョーカーの誕生が扱われていた。初期の『ディテクティブ・コミックス(英語版)』(第168号、1951年)では、レッドフードという名の犯罪者が化学薬品に浸かったことで白塗りの道化のような外見に変わり、以降ジョーカーと名乗るようになったと説明されていた。ただしその心理や狂気の由来については詳しく書かれなかった。アラン・ムーアはこのエピソードを掘り下げて新たなオリジン・ストーリーを作り出した[5]。作中ではそれが確かな事実というより一つのありうる物語に過ぎないと強調されていたが、広く受け入れられてDC社のコンティニュイティ(正史)に取り入れられることになった。また本作では、歴史の長いキャラクターであるバーバラ・ゴードンが中枢神経を損傷して障害を負う。担当編集者レン・ウェイン(英語版)はこの展開についてDC社から許可を取り付けなければならなかった[2]

プレスティージ・フォーマット[† 2]48ページのワンショット号として企画された本作だったが、制作にはかなりの時間が費やされた。 ムーアとボランドはいずれも緻密な作風と遅筆でよく知られており、それぞれ直前に制作した全12号のマキシシリーズ[† 3]作品(ムーアの『ウォッチメン』、ボランドの『キャメロット3000(英語版)』)でも刊行延期を繰り返していた[1]。しかしDC社は寛大な態度を保っており、ボランドは「作家に好きなペースで描かせてくれる覚悟があったようだ」と言っている。最初の担当編集者レン・ウェインが退社したためデニス・オニール(英語版)が後を継いだが、「まったく手出ししないタイプ」だったオニールとは、ボランドはたった一度しか本書について会話を交わさなかったという[3]

ボランドはフラッシュバック(英語版)シークエンスをモノクロで表現するつもりであり、『ウォッチメン』のカラリストでもあったジョン・ヒギンズ(英語版)に「柔らかい11月の色」で塗るよう伝えた。印刷されたコミックを見たボランドは動顛した。「毒々しい … 気分が悪くなる強烈な紫とピンク … 私の大事な『イレイザーヘッド』風のフラッシュバック・シークエンスがオレンジ色まみれになっていた」[2]。2008年に本作の20周年記念版が刊行された際、ボランドは自身で新しくカラーリングを行って意図通りの配色に直した。
ストーリー
あらすじ

後にジョーカーとなる男(名は明かされない)は、職を辞してスタンダップ・コメディアンを志すがみじめに失敗する。身重の妻を養わなければならない男は、2人組の窃盗犯から勧誘を受けて、かつての職場である化学工場への侵入を企てる。実行の前日、ありえないような偶然の事故で妻が死んだという知らせが届き、男は放心する。侵入の直前、2人組は男に架空の犯罪王「レッドフード」のマスクを被せ、万が一に備えて黒幕を演じさせる。プラントに足を踏み入れた一行はすぐに発見され、男1人を残して射殺される。さらにバットマンまでが現れ、男に迫る。恐怖に駆られた男はプラントの排水溝に飛び込んで逃れる。廃液から這い上がり、赤いマスクを外すと、化学物質によって皮膚は白く脱色され、唇は紅く、髪は鮮やかな緑に染まっていた。水面に自身の変貌を映した男は、ややあってとめどない哄笑を響かせ始める。

作中の現代において、バットマンはアーカム・アサイラムに収監されているジョーカーを訪ね、長年の確執を終わらせたいと語りかける。しかしそれは替え玉だった。密かに脱獄していた本物のジョーカーはジェームズ・ゴードン警察本部長の家に現れると、その娘バーバラの腹部を銃で撃ち、脊髄を傷つけて下半身麻痺の障害を負わせる。さらに閉園した遊園地跡にゴードンを運び込み、全裸にされて苦痛に悶えるバーバラの写真を見せつける。憔悴したゴードンを裸でフリークショーの檻に入れたジョーカーは、無秩序で残酷な世界において正気と狂気を隔てる壁がいかにもろいものか熱弁する。

そこにジョーカーからの招待状を受けたバットマンが到着する。ゴードンは精神的にボロボロになりながら正気と道徳感を失わず、法に則してジョーカーを逮捕するように言う。ファンハウスを舞台とした追跡劇の合間に、ジョーカーはこの世界が「クソつまらないブラックジョーク」であり、正常な人間が狂気に陥るには「最悪な1日」を迎えるだけでいいという言葉を投げかける。そしてバットマンもまた、ある1日のために道を踏み外したのだろうと。ジョーカーを無力化したバットマンは、このまま戦いを続けるとどちらかが相手を殺すことになると述懐し、理解と癒しの道を進もうと申し出る。ジョーカーは「もう遅い。遅すぎる」と答え、黙して立つバットマンの前でジョークを演じ始める。

精神病院から2人の患者が脱走した。1人の患者は、病院の屋根から隣の建物までの狭い隙間を難なく飛び越える。しかしもう1人の患者は恐れて立ち止まる。1人目の患者は懐中電灯の光で隙間に橋をかけると言い出す。光線の上を歩いて渡ってこいと言われた2人目の患者は答える。「俺をキチガイだとでも思ってるのか? お前、途中でスイッチを切っちまうつもりだろう!」ジョーカーは抑えられずに笑い出し、遅れてバットマンも笑いを漏らす。2人の笑いとパトカーのサイレンが交錯する中、バットマンはジョーカーに向けて手を伸ばす。
結末の解釈

テキスト本体からは、結末で何が起こったかは明確にされない[6]。一つの読み方によると、バットマンは最後にジョーカーを殺す。最後のページで笑い声が突然止まるのはコマの外でジョーカーの首が折られたためであり、タイトル「キリングジョーク (The Killing Joke)[† 4]」はジョークが引き金となってバットマンがジョーカーを殺すことを表しているのだという[7]。ほかにも、長年の宿敵だったバットマンとジョーカーが自分たちの確執を笑い飛ばして和解したのだという読み方もある[8][9]

ファンや批評家を含めて、大勢がこれらの説を巡って議論を続けている。作画者のボランドは敢えて正しい解釈を示していないが[† 5]、原作のムーアは2人に「一瞬正気が訪れた[† 6]」という言葉を使って説明している[10]
テーマと分析

本作はバットマンとジョーカーの関係性を掘り下げることで、二人が心理学的に互いの鏡像だというムーアの信条を提示している[11]。ストーリー中ではジョーカーとバットマンがそれぞれ人生を変える悲劇にどのように対処したか、そしてそれが現在の2人の生き方と対立関係にどうつながっているかが描かれている。評論家ジェフ・クロックはさらにこう説明した。「バットマンとジョーカーはどちらも、偶然の悲劇的な「最悪の1日」の産物である。バットマンが偶然の悲劇から意味を生み出すために一生を捧げているのに対し、ジョーカーは人生における不条理とあらゆる偶然の不正義を体現する」[12]ジョーカーがゴードン本部長に苦痛を課すのは、どんな正常人でも自分の立場に置かれれば正気を失うのか、それとも狂人となる人間は初めから心の中にその種子を抱えていたのかを確かめるためである[13]。しかしジョーカーとは異なり、ゴードンは試練を乗り越えて正気と道徳的規範を保つ。

本作はまた、バットマンの暗い一面を掘り起こしてモダン・エイジ(英語版)のバットマン像に影響を与えたことでも知られている[14]。しかし単に暗いという以上に、本作ではバットマン自身の心理が深く掘り下げられている。すなわち、バットマンはジョーカーと方向性は異なるが同じ程度に狂っており、2人は互いにまったく異なる視点から世界を認識している。ジョーカーの視点はラストシーンのジョークで説明されている[15]

この物語のジョーカーは信頼できない語り手である。ジョーカー自身も過去について確信がなく、複数の相反する記憶を持っていると発言している(「思い出すたびに、ああだったり、こうだったり … 過去がなきゃいけないっていうなら、好きなやつを選ばせてもらうぜ!」)。これにより本作が「非情な都市暴力と道徳的虚無主義に呑まれていく世界」を描いていることが強調されている[16]
社会的評価
批評家の反応

1989年アイズナー賞では本作が最優秀グラフィックアルバム部門を、作者アラン・ムーアも最優秀作家賞を受賞した。ヒラリー・ゴールドスタインはIGNコミックスで『キリングジョーク』を称賛して「間違いなくジョーカー史上最高傑作」と呼び、「ムーアのリズミカルな会話文とボランドの有機的なアートは唯一無二の作品を生み出している。真似る者は多いが、追い付く者はいない」と評した[13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:103 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef