バチカン市国
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日本の外務省は、ローマ教皇を国家元首とする独立国家をバチカン市国と呼び、その聖俗両面の総称をバチカンとしている[6]

日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は、1981年のヨハネ・パウロ2世の来日時に、それまで混用されてきた「教皇」と「法王」の呼称を統一するため、世俗の君主のイメージの強い「王」という字を含む「法王」でなく「教皇」への統一を定めた。また「教える」という意味を含む「教皇」が、より職務を表していると考えた[7]

以降、日本のカトリック教会の公式な表記では「法王」でなく「教皇」が用いられている。このとき、東京都千代田区にある「ローマ法王庁大使館」においても、これにあわせて「法王庁」から「教皇庁」への名称変更を行おうとしたが、日本国政府から「日本における各国公館の名称変更は、クーデターなどによる国名変更時など、特別な場合以外は認められない」として認められず、「ローマ法王庁大使館」の名称を使用していた。(官報や外務省の公文書でも「ローマ法王」の語が用いられているため、これが日本国政府の用いる公式名称であるとみなされていた)このような経緯もあって、マスメディアでは長らく「教皇」と「法王」の呼称が混用されていた。

2018年2月9日衆議院予算委員会立憲民主党山内康一がこの件で質問を行っている。事前通告されたのを受けて、外務省が当事者である駐日大使館及びバチカン市国へ問い合わせを行ったところ、いずれも名称変更(=「教皇」への訳語統一)を求めていないと回答された。しかし外務大臣河野太郎は、2015年に表記変更を行ったジョージアの例を上げつつ、要望があれば対応することを表明した[8]

2019年11月20日第266代教皇フランシスコの来日を目前にして、日本国政府及び外務省は「ローマ教皇」に呼称を変更した[7]。外務省は変更の理由を、カトリック関係者ほか一般的に「教皇」を使用する場合が多いこと、また日本国政府がバチカン市国側に呼称の変更が問題ないことが確認できたため、と説明した[9]。政府の名称変更に合わせ産経新聞[10][11]日本放送協会[12]ほかメディアも呼称を変更した。
国際関係詳細は「バチカン市国の国際関係(英語版)」を参照バチカン市国と外交関係を有する国(緑色)2009年、バチカンを訪問するロシアのメドベージェフ大統領(当時)。2015年、アメリカ合衆国議会で演説する教皇フランシスコ。

バチカン市国が成立した1929年以降、国際法上の主権国家となったことにあわせてバチカンの外交使節が各国に派遣され、同時に各国の外交使節を受け入れるようになった。2011年現在、バチカンは174カ国と国際連合およびマルタ騎士団特命全権大使を受け入れており、179の国と地域に大使あるいは外交使節を派遣している[6]

正式な外交関係を維持しているのはバチカン市国ではなくローマ教皇庁である。

現在、教皇庁は 184 の主権国家と外交関係を維持しており、教皇庁が関係を確立した最後の国は、2023年オマーンとなっている。

一方、前述のように事実上イタリアとの国境管理がされていないことに加え、狭いバチカン市国内では各国が大使館を構えるだけの敷地が現実的に取れないという事情もあり、バチカンと外交関係を有するほとんどの国は国内に大使館を設置せず、ローマの在イタリア大使館がバチカンを兼務している。ただし、イタリアと外交関係を有しない中華民国はその例外としてバチカン国内に大使館を設置している[13]
日本

日本がバチカンと正式な外交関係を樹立したのは第二次世界大戦中の1942年で、このとき相互に公使館を設置したが、戦後連合国軍の占領下で一旦引き上げて、1952年に再設置した。日本は1958年に駐バチカン日本公使館を大使館に格上げし(バチカン側が駐日ローマ法王庁公使館を大使館に格上げしたのは1966年[14]現在に至っている。

日本国大使館(正式名称:在バチカン日本国大使館(ポーランド語版))は隣国イタリア・ローマにおかれている(なお、バチカンと外交関係を有する国家のうち約100カ国は兼轄であり、常駐の特命全権大使を派遣しているのは、日本を含めて80カ国弱である)。なお、東京都にあるバチカン大使館の正式名称は「ローマ法王庁大使館(イタリア語: Nunzio apostolico in Giappone)」である。「日本とバチカン市国の関係」も参照
イギリス

イギリスとは、ヘンリー8世の離婚問題、国王至上法によってイギリス国教会が設立されてからローマ教皇がイギリス王を破門するかたちで断絶が続いていた。以来、イギリス国王とローマ教皇は没交渉であったが1914年に交渉が回復した。バチカン市国が建国され、主権国家として外交関係が樹立されたのは1982年のヨハネ・パウロ2世のイギリス司牧の旅以降である。2010年にはベネディクト16世が国賓としてイギリスを訪問。その答礼として2014年にエリザベス2世、エジンバラ公フィリップがバチカンを訪問した。しかしベネディクト16世の頃は、彼の超保守的な思想やカトリック聖職者の性的虐待問題でイギリス国民が、次のフランシスコのときは彼がアルゼンチン出身であること、フォークランド諸島紛争を抱えるイギリス政府が、態度を硬化させている。
ロシア

前身となるソビエト社会主義共和国連邦とはロシア革命以降外交関係を持っていなかったが、1990年3月15日に外交関係が樹立された。ソ連崩壊後、後継となるロシア連邦ではバチカン市国との外交関係を有していなかったことから、外交関係再設定への動きが進み、2009年12月3日に大統領ドミートリー・メドヴェージェフが、バチカン市国を訪問して教皇ベネディクト16世と会談を行い、国交が樹立された。翌年の2010年には正式に大使が交換されている。ウラジーミル・プーチンは大統領・首相として通算4度バチカンを訪れ、時の教皇と会談している。
キューバ

キューバ1935年に国交を樹立してから、キューバ革命後も関係が継続している。なお、キューバは社会主義者による革命が起きたにも関わらず国交断絶しなかった唯一の社会主義国である[15]
外交関係の無い国

2011年時点で、バチカンと外交関係が樹立されていない国は16カ国である。主な国家としては、宗教の存在を否定する共産党一党独裁国家で社会主義国中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ベトナムラオスと、イスラム国家サウジアラビアアフガニスタンソマリアブルネイなどがある。ただし同じイスラム国家でも首長国アラブ首長国連邦や王制のヨルダンイランなどとは外交関係がある。

中華人民共和国[16]信教の自由がなく[17]カトリック教会を政府の管理下に置き続ける上[18]、キリスト教関係者を逮捕、追放するなど弾圧を続けていること[19]を理由に、1949年10月1日の中華人民共和国の建国以来、国交を持っていない[20]。なお宗主国との条約の下で一国二制度の下、本土とは別制度が採られる香港マカオの両司教区(カトリック香港教区およびカトリックマカオ教区)は、イギリスポルトガル植民地時代からローマ教皇庁の直接管轄であり、中華人民共和国政府の影響を受けていない本来のカトリックに属する。


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