バチカン市国
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中華人民共和国[16]信教の自由がなく[17]カトリック教会を政府の管理下に置き続ける上[18]、キリスト教関係者を逮捕、追放するなど弾圧を続けていること[19]を理由に、1949年10月1日の中華人民共和国の建国以来、国交を持っていない[20]。なお宗主国との条約の下で一国二制度の下、本土とは別制度が採られる香港マカオの両司教区(カトリック香港教区およびカトリックマカオ教区)は、イギリスポルトガル植民地時代からローマ教皇庁の直接管轄であり、中華人民共和国政府の影響を受けていない本来のカトリックに属する。

国交はないものの、バチカンと中華人民共和国は「司教の任命権」の問題など多くの困難な問題を抱えながらも、外交関係の再設定を目指して水面下での協議を続けてきた。例えば1979年には、中華民国台北市派遣の外交官レベルを臨時代理大使に格下げし、中華人民共和国との関係改善への意欲を見せていた。2015年9月28日には、教皇フランシスコ自らが中華人民共和国政府との接触を認めており[21]、バチカンの国務長官ピエトロ・パロリンは中華人民共和国との国交樹立の意向を明言している[22]。2018年9月22日、バチカンと中華人民共和国は、長年対立していた司教の任命権を巡る協議について、中華人民共和国はローマ教皇の国内における地位を認める代わりに、バチカンは中華人民共和国が独自に任命した司教を認めるという内容で、暫定的な合意に達したと発表した。これに関して、バチカンと中華民国は、両国の外交関係には何ら影響を与えるものではないとそれぞれコメントしている。なお香港カトリック香港教区は、1997年香港返還後もローマ教皇庁の直轄教区である。

2020年2月14日には、ドイツのミュンヘンで王毅外務大臣とポール・リチャード・ギャラガー(英語版)外務局長による初の外相会談が行われた。だが、中華人民共和国が共産主義国として、中国共産党の傘下にない宗教を規制するという問題は、何ら解決されないという現実がある。

また、バチカンからの「教皇使節」(Apostolic delegate)が、1932年に独立した満州国に派遣され、政府の式典などに参列していたが、「教皇使節」は現地のカトリック信徒のために派遣されるもので、外交的な意味を持たない。2022年現在でもベトナムなどのように、共産主義国でバチカンと外交関係を樹立していないにも関わらず、宗主国の関係上カトリック教徒が多いなど歴史的背景から教皇使節が派遣されている国々がある[23]。その証拠に教皇使節の派遣を管轄するのはバチカンにおいて宗教業務を担当する福音宣教省であって、外交を司る総理省ではない。

国際連合には、長らく「恒久的オブザーバー」という形式で代表を派遣していたが、2004年7月に、投票以外の全ての権利を持った代表となった。投票権を行使しないのは、政治的中立を維持するためであり、当時の国連バチカン代表であったチェレスティーノ・ミリオーレ(英語版、イタリア語版)大司教も「投票権を持たないことは、私たち自身の選択です」と語っている。
地理詳細は「バチカンの地理」を参照
国土バチカンの詳細地図

バチカン市国はローマの北西部に位置するバチカンの丘の上、テベレ川の右岸にある。その国境はすべてイタリアと接しており、かつて教皇を外部の攻撃から守るために築かれたバチカンの城壁に沿って引かれている。面積は約0.44km2独立国としては世界最小で、東京ディズニーランド(約0.52km2)よりも小さく、天安門広場(約0.40km2)とほぼ同じくらいであり、皇居(約1.15km2)のおよそ8分の3。その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂バチカン宮殿バチカン美術館サン・ピエトロ広場などが肩を並べている。

またラテラノ条約の取り決めに従って、国外のいくつかの区域(イタリア・ローマ南東約20kmにあるカステル・ガンドルフォの教皇別荘であるガンドルフォ城サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂などの大バジリカ、教皇庁事務所など)でもバチカンの主権が認められている[24]バチカンの行政区画も参照)。

これらの中にはバチカン放送の建物も含まれているが、短波ラジオ送信所は国外のイタリア・ローマ郊外にあり、その敷地内にはバチカンの治外法権が認められている。

外国人観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン美術館周辺のみで、その他の場所は一般人立入禁止区域となっている。 サン・ピエトロ大聖堂の展望台からバチカン庭園の全景を望む。
気候

バチカン市国の気候はローマの気候と同じで、地中海性気候の区域に属している。5月から9月は乾季にあたって少雨高温であり、10月から5月は雨季で冬は冷え込む。以下、ローマの気候図を示す。

ローマの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)11.8
(53.2)13.0
(55.4)15.2
(59.4)18.1
(64.6)22.9
(73.2)27.0
(80.6)30.4
(86.7)30.3
(86.5)26.8
(80.2)21.8
(71.2)16.3
(61.3)12.6
(54.7)20.52
(68.92)
平均最低気温 °C (°F)2.7
(36.9)3.5
(38.3)5.0
(41)7.5
(45.5)11.1
(52)14.7
(58.5)17.4
(63.3)17.5
(63.5)14.8
(58.6)10.8
(51.4)6.8
(44.2)3.9
(39)9.64
(49.35)
降水量 mm (inch)102.6
(4.039)98.5
(3.878)67.5
(2.657)65.4
(2.575)48.2
(1.898)34.4
(1.354)22.9
(0.902)32.8
(1.291)68.1
(2.681)93.7
(3.689)129.6
(5.102)111.0
(4.37)874.7
(34.436)
湿度77757273716867666974787872.3
出典: ⇒MeteoAM 2009-05-29

経済
国家予算

バチカンの「国家予算」は2003年のデータで歳入が約277億円で歳出290億円となっている。主な産業として出版業、モザイク製作などがある。バチカンは国家というにはあまりに特殊な存在であり、(下記にある「宗教活動協会」の投資運用は除き)利益追求の産業活動は行っていないため、歳入は「聖ペトロの献金」(Peter's Pence)として知られる世界中のカトリック信徒からの募金切手の販売、バチカン美術館の入場料収入、出版物の販売などによるものである。
宗教活動協会

第二次世界大戦中の1942年に、ピウス12世によってそれまでの「宗務委員会」から改組され設立された、バチカンの国家財政管理を行う組織である「宗教事業協会」(Instituto per le Opere di Religioni/ IOR、「バチカン銀行」とも呼ばれる)が、各国の民間の投資銀行を通じて投資運用し資金調達を行っている。上記の「国家予算」には、「宗教事業協会」の投資運用による利益は入っていない。

1980年代前半までは、宗教事業協会の投資運用と資金調達を行う主力行としての業務はイタリア国立労働銀行の子会社のアンブロシアーノ銀行が行っていたが、1982年に、同協会のポール・マルチンクス大司教と、「教皇の銀行家」と呼ばれていた、アンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取のもとで起こった、マフィアや極右秘密結社であるロッジP2が絡んだ、多額の使途不明金と資金洗浄に関わった不祥事の影響を受け、同行が破綻し、カルヴィ頭取などの複数の関係者が暗殺されて以降は、ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行などが行っている。


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