バターシー発電所
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ロンドン・パワー・カンパニーによる最初の特大発電所は、ロンドンテムズ川南岸のバタシー地区に建てることが計画された。1927年には、2段階の建設で、竣工時には400メガワットの電力産出ができる発電所を建てるとの提案がなされた[4]。建築に選ばれた土地は15-エーカー (61,000 m2)の区画で、以前はサザーク・アンド・ヴォクソール水道会社 (Southwark and Vauxhall Waterworks Company) の貯水池として使われていた場所だった[21]。この場所が選ばれたのは、冷却水や石炭輸送に欠かせないテムズ川に近いことと、発電所の主な供給エリアであるロンドン中心部に建築できるという理由だった[22]

この提案は、建物が巨大過ぎて目障りだと感じる人々から反発を受けたほか、地元の建物や公園、テート・ギャラリー(現テート・ブリテン)の美術品が汚染されるのではとの不安も呼んだ。前者の反発に対し、会社はジャイルズ・ギルバート・スコットを雇って外装の設計を任せることで対応した。彼は著名な建築家・工業デザイナーであり、レッド・テレフォン・ボックス(英語版)やリヴァプール大聖堂の設計で有名だった。また、バタシー発電所の仕事に続き、同じくテムズ川沿いの発電所であるバンクサイド発電所を設計しているが、この建物は現在美術館・テート・モダンとして使われている[4]。汚染問題については、発電所が「クリーンで無煙」(: "clean and smokeless")だと保証するため、排気処理が適切に行われている状態で、発電所に認可が下りるとの条件で解決した[21]

A発電所を建てる最初のフェーズは、1929年3月に始まった。メイン棟の工事はジョン・モウレム&カンパニー(英語版)によって行われ[23]、構造体の鉄筋建設はサー・ウィリアム・アロル&カンパニー(英語版)によって行われた。また他にも、専門的作業のために複数の建築業者が雇われている[22]蒸気タービン発電機などの電気機械のほとんどは、マンチェスター、トラフォード・パーク(英語版)のメトロポリタン=ヴィッカースによって手掛けられた[4]。鉄製の骨組みの建築は1930年10月に開始された。これが完成した後、1931年3月にレンガ造りの外装工事が始まった。B発電所の建築まで、ボイラー棟の東壁は、一時的な囲いとして、金属製の波板で覆われていた[22]。A発電所は1933年に操業を開始したが、1935年まで建物の建築は続いた[22][24]。建設にかかった総工費は214万1,550ポンドに上った[22][注 3]。1929年から1933年の建築期間中に、死亡事故が6件、その他の事故が121件発生している[25]

第二次世界大戦終戦後、B発電所を建設する第2フェーズが開始された。B発電所は1953年から1955年にかけて徐々に操業を開始した[4]。また先立って完成したA発電所とそっくりな外観で、その東側に鏡像のように建てられ、これにより現在でも有名な煙突4本の外観が完成した。B発電所の建設により、発電能力は509メガワットとなって、当時の英国で3番目に大きな発電施設となったほか、ロンドンの電力需要の5分の1を賄うまでになった(残りは28のより小さな発電所によって賄われた)[26]。また、開業時には、世界で最も熱効率の高い発電所であった[4]

A発電所はロンドン・パワー・カンパニーによって操業されていたが、B発電所の工事が完了した際に、英国の電力供給産業は国有化され、2つの発電所の所有権は1948年に英国電力公社(英語版)へ譲渡された[4]1955年に電力公社は中央電気庁(英語版)へと名前を変え、さらに1957年には中央発電局(英語版)と名前を変えている。

1964年4月20日には、発電所で火災が起きてロンドン中が電力危機に陥った。この夜BBC Twoを開局する予定だったBBCテレビジョンセンターも例外ではなく、開局が翌日の午前11時にずれ込む事態となった[27][28]
デザインと仕様発電所の建築は2つのフェーズを経て完成した。写真は1934年に撮られたもので、A発電所を建てるフェーズ1が進行中である発電所はブリック・カテドラル・スタイル(: The brick cathedral style)で建てられた。一時流行したこのスタイルを伝えるものとして、イングランドに現存する数少ない例である

A・B2つの発電所は、どちらも建築家や技術者による1つのグループによって設計された。チームのリーダーは、ロンドン・パワー・カンパニーの主任技術者だったレナード・ピアース(英語版)だった。他にも、ヘンリー・ニューマーチ・アロット(: Henry Newmarch Allott)や、後にフィルトン(英語版)のブリストル ブラバゾン組み立て工場建設にも貢献したテレンス・パトリック・オサリヴァン(英語版)などがチームに加わっていた。J・セオ・ハリデイ(英: J. Theo Halliday)も建築家として雇われたほか、ハリデイ&エゲート・カンパニー(英: Halliday & Agate Co.)は建築の副顧問を務めた。ハリデイは、建物の外装・内装工事の監督・遂行で責任者を務めた。建築家のジャイルズ・ギルバート・スコットは計画がやや進んだところで加わり、市民の要求を満たせるよう協議に参加したため、プレスでは "architect of the exterior"(外装の設計者)と表現された[22]。発電所は、当時流行だったブリック・カテドラル・スタイル(: The brick cathedral style)で建築された[29]。バタシー発電所は、ウェールズのアスクマウス発電所(英語版)や同じロンドンのバンクサイド発電所と並び、この様式で建てられた英国の発電所として数少ない現存例である[30]。発電所のデザインはすぐに良い評判を得て、「電力の聖堂」(英: a "temple of power")と表現されたほか、セント・ポール大聖堂などと並ぶロンドン名所として格付けられた。Architectural Review (en) による1939年の調査では、名士による審査員団が、この建物を2番目に素晴らしい現代建築物と定めている[31]

A発電所のコントロール・ルームには、ハリデイの手によってアール・デコ様式の調度品がいくつも加えられた。イタリア製の大理石がタービン・ホールに使われたほか、磨き上げられた寄せ木細工の床や錬鉄製の階段が長年にわたって利用された[21]第二次世界大戦に続いた資金難から、B発電所の内装には同様の調度は加えられず、代わりにステンレスで作られた内装品が導入された[32]

繋がった構造の発電所2棟はそれぞれ、煙突が両端に付いた長いボイラー棟と、それに隣接したタービン・ホール (Turbine hall) から成っている。発電所はヨーロッパ最大のレンガ建築物である[4]。建物の総面積は160メートル (520 ft)×170メートル (560 ft)で、ボイラー棟の屋根までは50メートル (160 ft)以上もある。4本の煙突はそれぞれコンクリート製で、高さは103メートル (338 ft)あり、その直径は底部で28フィート (8.5 m)、頂上で22フィート (6.7 m)である。発電所には他にも、石炭を荷下ろしするための突堤や、選別して貯蔵する施設、制御室、管理区域などがある[22]

A発電所は3台のタービン発電機を使って発電していた。


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