バタヴィア共和国、バターフ共和国(バタヴィアきょうわこく、オランダ語: Bataafse Republiek、フランス語: Republique batave)は、1795年から1806年まで現在のオランダに存在したフランスの衛星国である。ネーデルラント連邦共和国の崩壊後に成立した。1806年にルイ・ボナパルトを国王とするホラント王国へと移行した。
国名は、古代ローマ時代にネーデルラント北部、現在の南ホラント州一帯に定住していたゲルマン系のバターウィー族に由来する。オランダ人の民主派勢力である愛国者(パトリオッテン)派は、1787年に一時フランスなどに亡命していたが、彼らはオランダ(ネーデルラント)人ではなくバターフェン(バターフ人、バタヴィア人)と名乗っており、帰国して実権を握った際にこれを国名とした。
1798年3月に憲法が採択され、5月に発効した。それまでのネーデルラント7州における自治は大きく制限され、8県に再編された。
アムステル県 (Departement van de Amstel)
デルフ県 (Departement van de Delf)
ドンメル県 (Departement van de Dommel)
エームス県 (Departement van de Eems)
アウデ・エイセル県 (Departement van de Oude IJssel)
レイン県 (Departement van de Rijn)
スヘルデ・エン・マース県 (Departement van de Schelde en Maas)
テセル県 (Departement van Texel)
立法府は二院制をとり、行政府は5人の長官によって運営された。
脚注[脚注の使い方]^ “Volkstelling in de Nederlandsche Republiek, uitgegeven op last der commissie tot het ontwerpen van een plan van constitutie voor het volk van Nederland”. 2016年9月11日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
^ ⇒The Netherlands: country population Archived 26 December 2011 at the Wayback Machine., Jan Lahmeyer. Retrieved on 28 September 2013.
参考文献
森田安一編 『新版世界の歴史14 スイス・ベネルクス史』 山川出版社、1998年
関連項目
オランダの歴史
フランス革命戦争
バタヴィア
外部リンク
『バタヴィア共和国』 - コトバンク
表
話
編
歴
フランス革命戦争・ナポレオン戦争期(1792年 - 1815年)の衛星国
フランス革命期
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