バスター・キートン
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他に衰退の原因として考えられている点が、MGMの分業方式・スター方式が合わず、さらに今まで一緒だったチームメンバーが解体してしまった事などである。サイレント時代の傑作『キートン将軍』などのカメラワークは、今[いつ?]見ても目を見張るものがあるが、これらのスタッフは各スター作品の製作で文字通り引っ張りだこであって、複数の喜劇映画に名を連ねている。

1931年の『紐育の歩道(英語版)』はキートンの商業的に最も成功した映画だった(興行収入 885,000ドル、純利益は約 200,000ドル)[3]。MGM時代後期は、ジミー・デュランテとのダブル主演となっていった。この頃から酒に溺れる日々が続き、撮影を丸1日潰してしまう出来事も起こった。またMGMとの約束をキャンセルしてしまう出来事も重なり、これがきっかけで解雇されてしまう。

1930年代半ばには、エデュケーショナルで短編作品に出演・主演するようになった。1935年の『恥ずかしがり屋の青年(英語版)』(別邦題『内気な青年』)ではマック・セネット監督、キートン主演の最初で最後のコンビが実現した[4]。また1940年代にはコロンビアユニヴァーサルにも迎え入れられたが、主に脇役であった。

一方で外国で長編作品の製作に携わった(『キートンの爆弾成金(英語版)』(フランス、1934年)、『キートンのスペイン嬌乱(英語版)』(イギリス、1935年)、『キートンの月ロケット(英語版)』(メキシコ、1946年)。『キートンの爆弾成金』では笑い顔を見せている(外部リンク参照))。

他にも監督原案の提供、ギャグの創作や指導などの仕事をこなす。マルクス兄弟の作品にも原案提供・ギャグ指導を行っており(兄弟の反応は微妙なものだったという)[5]、このためマルクス兄弟の特徴となる視覚的で不条理なギャグには、キートンの影響が随所に見られる。

とは言え当時は既にハリウッドの一線から退いたと考えられていた。酒量が増えアルコール使用障害に陥り、破産も経験している。これに前後して『荒武者キートン』で共演した妻との離婚、看護婦であった第2夫人との結婚・離婚などを経験し、「発狂」と新聞に報道されてしまう羽目にまで立ち至っている。これは日本の新聞にも写真つきで報道され、古い映画評論などはいまだにそのまま書かれている。最初の妻の、ナタリー・タルマッジ
再評価・晩年テレビ番組トワイライト・ゾーンに登場したキートン(1961年)バスター・キートンの墓(カリフォルニア州バーバンク)

1950年代に入ると、TVショーの出演やヨーロッパでの舞台を続けるなど、仕事に恵まれた。映画でも1950年ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』に出演。1952年に『ライムライト』に出演して、チャーリー・チャップリンと初共演を果たした。これらの仕事や、黄金時代のフィルムが倉庫から探し出されてリバイバル上映されるなど、キートンへの再評価が高まった。1957年には伝記映画『バスター・キートン物語(英語版)』も公開された。1959年アカデミー名誉賞を授与された。1965年『キートンの線路工夫(英語版)』では主演を務めた。最晩年(1966年)の出演作『ローマで起こった奇妙な出来事(英語版)』ではセリフも少なく、ただそのへんを走っているだけのマラソンランナー役だったが(最後の大どんでん返しの中心人物だった)、それでもクレジットタイトルでは別格扱いだった。

1966年2月1日、肺癌によりカリフォルニア州ウッドランドヒルの自宅で死去。70歳。
結婚ナタリー・タルマッジとの結婚式

3度の結婚を経験している。
ナタリー・タルマッジ - サイレント時代に活躍したタルマッジ三姉妹の一人で、『荒武者キートン』 (Our Hospitality) ではヒロインを演じた。1921年に結婚し1932年に離婚。2人の子供をもうけている。

メイ・スクリヴン - 1933年に結婚し1936年に離婚。

エレノア・キートン - キートンより23歳年下のダンサー。キートンが亡くなるまで結婚生活は続いた。

芸風や作品の特徴『文化生活一週間(キートンのマイホーム)』の珍妙なマイホームのギャグ(1920年)

前述通り「偉大なる無表情」を一切崩さずに行う、体を張ったアクションとギャグが最大の特徴といえる。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}偉大なる無表情とは、喜怒哀楽を表情に出さない[要校閲]。その表情と命がけのアクションとのギャップが、ファンに愛されている理由の1つだともいえる。急斜面を転がり落ちたり、列車の上を全速力で駆け抜けたりするなど、非常にアクロバティックである。アクションに限らず、映像技術や特撮技術を駆使したような、トリック要素が多く盛り込まれたギャグも多用する。

作品の特徴であるが、チャップリン作品に形容されるような、悲劇的な要素はあまり見受けられず、スラップスティック・コメディにロマンス要素が加味された作品が多い。基本的にはハッピーエンドである。そしてキートン演じる主人公のそのほとんどが、少し間の抜けた性格の持ち主だが、ロマンティストである。これらはキートンが自ら製作した1920年代に強く見られる特徴である。

この節の加筆が望まれています。

評価

1999年アメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では、男優部門の21位に選ばれた[6]
雑学

最初の結婚のころ、不動産経営で成功して「イタリア荘」を新築した。


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