バスク語
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方言は音韻・形態・語彙の地域的な変異が比較的大きく「村ごとに異なる」ともいわれる[2]。伝統的には六つから九つに分類されてきた。

ビスカヤ方言

ギプスコア方言(英語版)

高ナファロア方言(英語版)(北・南)

低ナファロア方言(英語版)(東・西)

ラプルディ方言(英語版)

スベロア方言(英語版)(スベロア方言・エロンカリ方言)

1998年にはバスク語学者のコルド・スアソによって再分類された。彼はいくつかの方言の呼称を改めたほか、低ナファロア方言とラプルディ方言を一つのグループにまとめ、エロンカリ方言と†サライツ方言(死語)を東部ナファロア方言として区別した。彼の分類によれば現在話されている方言は5方言に分けられる。
ビスカヤ方言
ビスカヤ県中・東部、アラバ県北部、ギプスコア県南西部で話されている。スアソは西部方言と呼び、4変種を区別している。
ギプスコア方言
ギプスコア県とナバラ州バサブルア周辺で話されている。スアソは中央方言と呼び、4変種を区別している。
高ナファロア方言
ナバラ州中北部と同州サカナ周辺で話されている。スアソはナファロア方言と呼び、7変種を区別している。
低ナファロア方言
バス=ナヴァールで話されている。スアソはラプルディ方言とともにナファロア=ラプルディ方言と呼んで5変種を区別している。そのうち二つが低ナファロア方言に該当する。アミクセ方言はガスコーニュ語の強い影響を受けており[3]、マルコム・ロス(Malcolm Ross)がメタティピーの例として取りあげている[4]
ラプルディ方言
ラブールで話されている。スアソのナファロア=ラプルディ方言のうち3変種がこれに該当する。
スベロア方言
スールで話されている。ベアルン語の影響を受けている。
標準バスク語

20世紀になってバスク語アカデミーによって標準語として制定された標準バスク語(Standard Basque)が、広く定着している。
歴史イベリア半島周辺の言語分布の変遷
  バスク語

バスク語は現存するどの言語とも系統関係が立証されていない孤立した言語であり、西ヨーロッパで唯一生き残ったインド=ヨーロッパ語族以前の言語(先印欧語)である[5]

紀元前58年に始まるガリア戦争以前から、現在のフランスアキテーヌ地域圏南部(当時のアクイタニア)にはアクイタニア人(英語版)が住んでいた。彼らの話していたアクイタニア語はバスク語の祖先かその近縁の言語である。同時代のイベリア半島で話されていた言語にはバスク語の祖先に当たるものは発見されていないが、ヴァスコン人など現在のバスク地方南部に住んでいた民族の一部がアクイタニア語を話していた可能性がある[6]。アクイタニア語の南限については議論があり、現在のラ・リオハ州カラオラ辺りとする説やアラゴン州一帯とする説がある[7]

アクイタニア語はおそらくアクイタニアの多くの地域で早い時期に話されなくなったが、南西部では使われ続けた。ピレネー南部ではバスク地方全域に広がり、4世紀以降にはラ・リオハやブルゴス県付近にまで分布していたことが当時の地名から確認できる[8]

アクイタニア語を除けば、バスク語の使用を示す最古の文献は中世初期の碑文や写本である。バスク州ビスカヤ県エロリオにあるアルギニェタ墓地の墓石にはバスク語の名前が刻まれている。この碑文は883年のものとされている。また、ラ・リオハのサン・ミジャン修道院で見付かったラテン語の写本に付された注釈にはバスク語が用いられている。これはエミリアヌス注釈と呼ばれ、普通950年頃のものと考えられている[9]

10世紀以降、バスク語の人名や地名を記した文献が多く見られるようになる。おもに相続・寄付・納税などに関するラテン語の文書で、初期のものはアラバ県、ラ・リオハ、ブルゴス県で発見されたものが多い。また、ギプスコア県のオジャサバル修道院の遺贈に関する文書は1055年のもので、遺産の範囲に関する重要な語句がバスク語で書かれている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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