10世紀以降、バスク語の人名や地名を記した文献が多く見られるようになる。おもに相続・寄付・納税などに関するラテン語の文書で、初期のものはアラバ県、ラ・リオハ、ブルゴス県で発見されたものが多い。また、ギプスコア県のオジャサバル修道院の遺贈に関する文書は1055年のもので、遺産の範囲に関する重要な語句がバスク語で書かれている。このような文書はとても珍しいものである[10]。 バスク語と系統関係のあることが幅広く支持されている言語は、消滅したアクイタニア語だけである[11]。 長期にわたって真剣に検討された仮説には以下のものがあるが、いずれもバスク語学者の支持を得ることはなく、反駁されている[12]。 アフリカの言語のうち、ベルベル語など北アフリカで話されているものとバスク語の系統関係を提案する説は19世紀後半から見られる。ガーベレンツ[13]やシューハルト[14]に始まり、オーストリアの言語学者ムカロフスキー[15]が同系語を確定する試みを数点出版した。しかし、借用語・新語・存在しない語・幼児語・擬音語や、ベルベル語の一部でしか使われていない語を比較に用いる彼の手法は批判されており、この仮説を支持していないバスク語学者が多い[16]:361ff.。 バスク語をヨーロッパ諸言語の基層言語と関連づける考え方はフープシュミート[17]に見られる。彼は印欧語族以前のヨーロッパの言語としてヨーロッパ=アフリカ語族とヒスパニア=コーカサス語族を想定し、バスク語はその名残であるとしたが、内的再建によって明らかになったバスク語の音変化と整合しない部分があり、問題がある[18]。また近年ではフェネマン[19]がヨーロッパの河川名に基づいてバスク語をヨーロッパ諸言語の基層言語として提案した。(バスコン基層語説を参照。)これもフープシュミートに対する批判と同様の観点から退けるバスク語学者が多い。 イベリア語は、イベリア半島東部・南東部を中心とした地域で使われていた言語で、紀元前6世紀から前1世紀にかけての金石文に記録が残っている。その大部分は独自のイベリア文字で書かれており、20世紀半ば、マヌエル・ゴメス=モレノ イベリア語とバスク語の系統関係を最初に明確に提案したのは、マヌエル・ララメンディ
系統
アフリカの言語、特にアフロ・アジア語族(ベルベル語など)と同系である。
ヨーロッパ諸言語の基層語がバスク語である。
インド=ヨーロッパ語族である。
イベリア語がバスク語の祖先である。
コーカサス諸語と同系である。
アフリカの言語
ヨーロッパの基層語
イベリア語フンボルト
この時点では、イベリア語の解読はほとんど進んでいなかったので、バスク語とイベリア語の系統関係が具体的に検討されることはなかった。1893年にエミール・ヒュブナー (Emil Hubner) が既知のイベリア語文献を公刊したことで解読は少しずつ進み始めた。フーゴ・シューハルトは1908年の Die iberische Deklination でイベリア語の格変化を再構成し、バスク語の格変化と比較し、対応関係を見出した。しかし、このシューハルトの主張はいくつかの理由から否定されている[16]:379f.。
20世紀前半にはゲルハルト・ベーア (Gerhard Bahr) がバスク語とイベリア語の系統関係を支持する証拠はほとんど無いという否定的な見解を示す一方、イベリア語の解読に精力的に取り組んだピオ・ベルトラン (Pio Beltran) はこの仮説を支持した。 イベリア半島から遠く離れたカフカス山脈付近のカフカス諸語とバスク語と同語族を構成するという説がある[20]。古くコーカサスはギリシャ・ローマ人より「イベリア」と呼ばれており、ここからスペインに移住した民族がバスク人の祖となり、イベリア半島の呼称もそこから来ているという説である。 さらに大規模には、シナ・チベット語族、ブルシャスキー語、デネ・エニセイ語族等も含めたデネ・コーカサス大語族仮説も存在する。
コーカサス諸語