バスガイド
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研修は発音練習から始まり、数百ページにものぼる観光地の地理や歴史を網羅した案内資料の学習と暗記、乗車教習、歌唱指導、車両誘導など多岐にわたる。

内容はバス会社により異なるが、新人バスガイドは入社後に集合研修を受け、接客、身だしなみ、発声・滑舌練習、挨拶の仕方、関連法規、会社概要、社規社則等を教わる。その後は配属先営業所毎に分かれ、車両の扱い方、バック誘導、事故発生時に乗客を安全に誘導するための実習等が行われる。
歴史[ソースを編集]戦前の東京における遊覧用ボンネットバスと女性ガイド(当時の絵葉書)

1920年(大正9年)2月、東京市街自動車に女性車掌(白衿嬢)が乗務した[6]。1924年12月20日、東京市営バスに女性車掌(赤襟嬢)が乗務した[6][7]。1925年(大正14年)12月25日[1]東京乗合自動車(1922年に東京市街自動車を改称)が遊覧自動車に観光案内のため乗務させたのがバスガイド(当時は「案内係」と呼ばれた)の最初である[2]。観光案内には豊富な知識が要するとされて、大学を卒業した男性のみを採用した。しかし案内能力は抜群に良かったが、それに見合う手当(当時帝国大学卒の初任給が60円、私大卒が50円だったところ、基本給60円、手当20円[2])や待遇を要し、かなりの高コストになってしまった。別府地獄めぐり定期観光バスのガイド(手前、1950年代)

今日のような女性バスガイドは1928年(昭和3年)1月[8]大分県別府市の亀の井遊覧自動車(現・亀の井バス)が地獄巡り遊覧バスを運行する際に、当時同社を経営していた油屋熊八が考案したのが嚆矢である。2009年平成21年)3月30日に亡くなった村上アヤメは当時採用された第一号ガイドの一人である[9]。若い女性の採用と、七五調による観光案内[10]が大好評を博し、現在も別府温泉で運行されている国内で最も長い歴史を持つ定期観光バスである。現在の別府地獄めぐりコースでも当時の七五調ガイドが一部に用いられている。

同年7月[2]、東京乗合自動車でも女性ガイドに切り替え、全国に女性バスガイドが波及した。戦後の1949年(昭和24年)に運行を開始したはとバスも、当初から女性ガイドでスタートしている。

大阪市の中央観光バス(現ジパング (大阪府))において、観光ガイドは行わず、飲料の配布や客の接待のみに従事する、スチュワーデスと呼ばれる接待専門の乗務員も存在した(倒産後、現在はそのような事はない)。

1999年(平成11年)に改正された男女雇用機会均等法の施行で、男性バスガイドも採用されるようになったが、多くない。

なお、はとバスでは、1999年以前から外国人旅行者向けの定期観光バスに男性ガイドを採用していた[11]
バスガールの日[ソースを編集]

前述の東京市街自動車に女性車掌(白衿嬢)が乗務した[6]日が1920年(大正9年)2月2日だったことから、毎年2月2日をバスガールの日と定めている[12]
バスガイド経験者の著名人[ソースを編集]
芸能人[ソースを編集]

北野玲子:北海道中央バス

清姫舞(AV女優)

小橋亜樹道北バス

まきのめぐみ国際興業バス

八代亜紀九州産交

YUKI (歌手)北都交通

河村ようこ:東都観光バス

斉藤京子:はとバス

政治家[ソースを編集]

糸数慶子沖縄バス東陽バス

著作家[ソースを編集]

花房観音(小説家)

楽曲[ソースを編集]

東京のバスガール(初代コロムビア・ローズ

邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)(山田邦子

書籍[ソースを編集]

『ご指名!古都のバスガイド』(出版当時は奈良交通バスガイド、現:フリー・木島亜里沙著、2008年9月18日メディアファクトリー刊)

脚注[ソースを編集]^ a b 東北地方の貸切バス事業者14社による「新バス観光」推進グループ公式サイト内「バスガイドとは?」(2024年1月2日閲覧)参照。


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