バグダード
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日本における中東関連学界の標準的カタカナ表記はバグダードが標準となっている。

一方メディアや一般向け書籍・記事では英語発音同様長母音を含まず、かつ外来語への当て字で多い-dad部分への促音「ッ」挿入によりバグダッドとカタカナ表記されることが今でも広く行われている。
概要ハイファ通り

バグダードは、2003年3月のイラク戦争アメリカ合衆国イギリス両国を主力とする軍の攻撃を受け、同年4月に制圧されたのち、連合国暫定当局(CPA)本部が置かれた[3]。その後、2004年6月にはイラク暫定政権への主権移譲がなされ、イラク移行政府を経て2006年にはイラク正式政府が成立し、現在に至っている。

人口増加が著しく、2025年に806万人、2050年に1509万人、2075年に2439万人、2100年の人口予測では3410万人を数える世界21位の超巨大都市となる予測が出ている[4]
名前

諸説あるバグダードの名前の由来に、ペルシア語の「神の都」がある。アッバース朝のマンスールが定めたこの名前は古代ペルシアの影響を反映したものであり、アラビア語の ????????? ??????????(madinat al-sal?m, マディーナト・アッ=サラーム / マディーナ・アッ=サラーム:「平和の都」) が今でも硬貨に残る公式名である。
立地と地理概況

バグダードは、イラク共和国の中央やや東寄りにあり、メソポタミア平原のほぼ中央、ティグリス川中流の河畔に位置する。その西を流れるユーフラテス川は同市付近でもっとも接近し、バグダードの南西約40キロメートルを南東方向にむけ流下している。

バグダードの市街地は、蛇行するティグリス川の両岸にひろがっている。左岸(東岸)にはラシード通りやバザール(市場)、諸官庁および在外公館、旧王宮、カージマイン・モスク(英語版)、民族解放記念碑、バグダード大学、銀行、また、ホテルレストラン、新住宅地などがあり、右岸(西岸)には空港テレビ局、大統領府や議事堂、バグダード中央駅、病院、高級住宅街などがある[3]。歴史的には西岸が古いものの、東岸より先に荒廃し、むしろ東岸に古さが残っている[5]。なお、かつての環状都市は現在その痕跡をとどめていない[5]
歴史詳細は「バグダッドの歴史(英語版)」を参照
イスラーム以前

バグダードの歴史は古代メソポタミア文明にさかのぼる。すでに紀元前3000年代のシュメール人都市国家の時代、あるいはアッカド王国の時代から集落の存在が確認されており、ハンムラビ王の時代の紀元前1800年ごろの記録には「バグダドゥ」の名もあらわれる[5]。また、バグダードの周辺にはバビロンセレウキアクテシフォン、アカルクーフなど古代の首都遺跡が数多く分布する[6]紀元前8世紀ころにはアラム人が集住を開始しており、やがて、年ごとの定期市を開くことが慣例になったものと考えられる[7][注釈 1]

サーサーン朝時代のバグダードは、ティグリス河畔の交通の要衝であることから周辺地域の物流の中心となった。一説によると、都市名のバグダードは古代ペルシア語で「神(バグ)の贈り物」を意味するとされる[7][注釈 2]。バグダードは、肥沃な農耕地帯の中央に位置し、メソポタミア地方の農産物の集積地として食糧事情に恵まれ、東西の隊商ルートと南北の河川ルートの交わる交易の結節点となりうる地の利を持っていた[7]。この地方が当時、新興宗教であったイスラム教を信奉するアラブ人たちによって占領されたのは、634年のことである。
アッバース朝カリフの都アッバース朝下のバグダード(767年ころ-912年ころ)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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